朝、今西栄太郎は、目をさました。
捜査本部詰めになって仕事と散り組んでいる時には、夜明けに飛び出すこともあるし、夜中でなければ帰れないこともある。しかし、平常は、そんな無理をしなくてもいい。ゆっくり、定刻に本庁に行けばよかった。
一つの仕事から解放されるということは、たとえ当座後味の悪い場合でも、ありがたいことだった。時計を見ると、七時だった。八時に起きても十分間に合う。
「新聞を見せてくれ」
今西は寝床から、音の聞こえている台所に声をかけた。
妻が手を拭きながら、新聞を持って来た。
今西は仰向いたまま、新聞をひろげた。
第一面は、政界の動きが賑やかに出ていた。見出しも派手である。紙面は活気を帯びている。
まだどこかに快い眠気の残っている状態の中で、今西は新聞を繰った。かざすように、両手に持ったままである。
ある主題で、各界の意見が編集されていた。小さな顔写真が、それぞれの談話記事の上にのっている。何気なく見ているうちに、今西は、おやと思った。最後のところに「関川重雄」という名前がある。
関川の意見は、今西にはどちらでもいい。興味をひいたのは、円形の中に入った彼の顔写真だ。
ほかの十二三の顔はいずれも年輩者ばかりだったが、関川重雄の顔は、とびぬけて若い。
今西は、秋田県の羽後亀田駅で見た彼の姿を思い出した。もっとも、この写真のとおりであったかどうかは記憶がはっきりしない。こんな顔だったような気がする。
一緒に同行した吉村が関川のことを「ヌーボー・グループ」の一人だ、と言っていたが、なるほど、この若さで、こうして名士の中に入っているところを見ると、相当な注目を世間から浴びている男に違いない。
まだ三十にもならない若さなのに、感心なことだ、と改めて思った。
今西は、次の紙面をあけたが、スポーツ欄だったので関心がなかった。このごろ、若い刑事がスポーツ紙ばかり熱中していることが、彼には解せない。それほど野球が面白いのか、と思う。実際、電車に乗って、人の読んでいるスポーツ紙を見ると。、まるで戦争中のように、ゲームの経過が大見出しで報じられている。形容詞も戦争用語で最大級なのである。
今西は興味がないので、すぐに社会面を開いた。すると、彼の目に三段抜きの見出しが入った。
「作曲家和賀英良氏 交通事故で負傷 昨夜タクシー追突の奇禍」
人物写真があった。若い顔である。あっと思たのは、この男が羽後亀田駅で見た一人なのだ。
今西は、記事の内容を急いで読んだ。それが、昨夜夜店の帰りに見た巣鴨駅前の追突事故だった。
今西は、また若い顔写真をながめて、妙な因縁を感じた。
今西は女房を呼んだ。
「おい、これを見ろよ」
新聞記事を見せた。
「昨夜のことが出ているよ」
「あら、そうですか」
妻も実際に事故の跡を目撃したことなので、興味ありそうにのぞいた。
「やっぱり死亡者はなかったのですね」
「そうらしい。この人も病院に担ぎ込まれたが、大した負傷ではないらしい」
「ようござんした」
妻は新聞を取って、ざっと記事を走り読みした。
「死亡者はなかったが、乗ってる人が有名な人だから、こんあに大きく出たんですね」
「おまえ、知ってるのか?」
今西は腹ばいになって煙草を吸った。
「ええ、名前だけはね。わたしが読んでいる婦人雑誌にも、ときどき写真が出ますわ」
「へええ」
今西は、自分のうかつさを知った。近ごろ雑誌を読まないので、とんとその方面には疎い。東北に行った時も、同行の吉村からいろいろと教えられたことである。
「この方、女流彫刻家と婚約してるんですのよ」
妻は興味ありそうに顔写真をまだ眺めていた。
「そんなことも雑誌に載ってるのか?」
「ええ、いつか、グラビアで、その二人が並んでいるところが出ていたわ。その彫刻家の女もきれいな方でしたわ。お父さんが元大臣をなすった人です」
「そうだってね」
今西は憮然として答えた。自分だけが時代感覚から取り残されたような気がする。
「それはそうと、この人には、ぼくは会ってるんだよ」
今西は妻に告げた。そのことで自分の遅れを取り戻した気持になった。
「あら、そうですか。やっぱり事件のことですか?」
妻は意外そうに目を丸くしていた。
「いや、そうじゃない。ほら、この間、秋田県に行っただろう。駅に行った時、ちょうど、この人も来ていた。もっとも、ぼくは知らなかったがね。吉村君が教えてくれたんだ」
「あら、そうですか。どうして、そんなところへ行ったんでしょう?」
「ぼくたちが行ったのは、岩城という町だがね。その近くにT大のロケット研究所がある。その見学の帰りだったそうだ。土地の新聞記者が来ていてね、連中にm、まつわっていた」
今西は話した。
「この人も、その中にいたよ」
今西は新聞を繰って、関川重雄の写真を見せた。
やっぱり若いがたいしたもんだね。地方に行っても、あれだけの人気がある」
「そりゃあそうですわ。今、この人たちは若いグループを結成して売り出し中なんです。雑誌にもこの人たちの名前がよく載っていますわ」
「そうだってね」
今西は、残りの煙草を吸いつづけた。妻は食事の支度のために離れて行った。
腕時計を見た。もうそろそろ起きなければいけない。今西は枕に後頭部をつけたまま、何となくその若いグループのことが頭にしみこんだ。
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