ドアが外からゆっくりとあいた。
若い女の顔が覗いた。
「あら、お客さま?」
胸に抱えた花束の先が彼女の頬に当たって揺らいでいた。
「かまいません、どうぞ」
和賀が目を輝かし、ベッドから立って、新しい客に声をかけた。
「失礼します」
初夏らしい明るいピンクのスーツだった。ふっくらとしたえくぼの寄る丸顔である。これが和賀のフィアンセで、新進の女流彫刻家、田所佐知子だった。
片沢睦郎があわてて椅子をずらして立ちあがり、
「お邪魔しています」
と、外国流に彼女に丁寧におぞぎをした。
「ようこそ」
と、田所佐知子は画家に笑った。きれいにそろった歯だった。
「お見舞いに来て下さったのね。どうもありがとう」
彼女は婚約者に代わって礼を言った。
「和賀の負傷が軽くてなによりでした。安心しました」
片沢が愛想を言うのを、
「こいつ、見舞いの来方が遅いので、そう丁寧にお礼を言う必要はありません」
と、和賀が横から言った。
「まあ」
田所佐知子は目もとを笑わせて、胸に抱えた花束を和賀英良に渡した。
「ほう、きれいですね」
和賀は自分の鼻に花弁をつけた。
「いい匂いだ。どうもありがとう」
和賀がそれを枕もとに置こうとしたのを、片沢睦郎が横からすすんで受け取った。
その花束をかざろうとしたが、あいにくとほかの花がいっぱいなので、彼はほかの花を手ではねのけ、佐知子の花束を中に据えた。
「まあ、きれいな花だわ」
自分の持って来た花のことではなく、無情に片づけられた花束に、彼女は目を落として言った。
「どなたかしら?」
和賀が皮肉な笑いを浮かべた。
「なに、村上順子からですよ。さっき、ここに押しかけて来ましてね。無理に置いていったんです。あの女、ぼくに何か作曲してくれと言ってこの間からしつこく言っていましたから、たぶん、その含みで来たのでしょう。善良な人ですね。あの畑の歌手のために、ぼくが仕事をすると思っているんでしょうね」
佐知子は、笑いを耐えるような表情をした。
「それは、村上順子だけじゃないよ」
片沢睦郎がすかさず言った。
「わかのわからない連中が、ぼくたちを利用しようとしているからな。度しがたい通俗芸術家がうようよしているよ。人を利用することしか考えていないのだ」
「そうかしらね」
佐知子はつつましげに首をかしげた。
「そうですとも。自分の名前を売るためには、人の利用ばかりを考えているんです。あなたなんかも気をつけた方がいいですよ」
と、これは佐知子に言った。
「あら、わたしなんか利用される価値がありませんわ」
「とんでもない」
片沢睦郎は大げさに手を振った。
「田所さんなんかはお気をつけにならないと、今にエラい目に会いますよ。何しろ、お父さまは特別な方だし、あなたの芸術も新しいし・・・・」
「つまり、毛ナミのヨサというところね、おっしゃりたいのは・・・」
田所佐知子は、顔をしかめた後、聡明な微笑を見せた。片沢睦郎はあわてた。
「いや、決してそんな意味ではありません。あなたは、むろん、そんな意識はないのです。世間は何も知りませんから、必ずしも真実を受け取らないのです。こわいのはそれですよ。ぼくなんかは、あなたをよく存じあげているから、背景とかなんとかいうのは全然感じませんがね」
「わたしも前にはずいぶんそれで悩みましたわ。わたしという芸術家がそういう光背を何か背負っているような気がして、とても辛かったんです。でも今はそうじゃありませんわ。和賀さんが、ひどく父のことを軽蔑なさるんです。でも、和賀さんが父を軽蔑して下さったんで、わたし助かりましたわ。何だか自分自身、目がさめたようになったんです」
「ごもっともです」
新鋭画家は両手を広げんばかりにして同感した。
「和賀君の意見は正しい。ぼくらはいつも既成概念を打破するんです。そういう意味で、絶対に現代の秩序も制度も認めません」
急に、片沢睦郎は強い口調になった。この時、ノックが聞こえた。
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