看護婦に導かれて、一人の紳士が入って来た。
名刺は看護婦が取り次いだ。この看護婦は、この病室の世話をほとんど受け持っていた。
名刺は雑誌社の者だった。
「どうも、このたべは大変なご災難で」
と、頭の薄い編集者は丁寧な挨拶を述べた。見舞いの果物籠を持参していた。
「いや、どうもありがとう」
和賀英良は客と向かいあった。
片沢睦郎は、片側に退いている。佐知子は、患者の和賀が新しい客と向かいあって椅子にすわるのを手伝っていた。
「ところで、先生がご奇禍にあわれる前にお約束しました、例のことでございますが、談話で結構でございます。ほんの十分かニ十分、お聞かせ願いとうございます。なにしろ、ご病中を押しかけまして恐縮ですが、締切も迫りましたことで、やむを得ずお伺いしたようなしだいです」
「そうですか」
約束だというので、和賀英良はしぶしぶ相手の言うことに答えた。話しの内容は「新しい芸術について」という主題らしい。編集者は、いちいちメモして、そのつど相槌を打ったり、うなずいたりしていたが、最後に、和賀におじぎをした。
「どうもありがとうございました。ところで、私どものこの欄の例として、先生方の簡単な略歴をお願いしているのです。先生にもひとつ、それを教えていただきとうございます。なに、簡単で結構でございます。文章の終わりに小さな活字でつけ加えますので」
「ああ、そう」
和賀はうなずいた。
「では簡単に言いますよ」
「はあ、どうぞ」
「本籍、大阪市浪速区恵比須町二ノ一二〇、現住所、東京都大田区田園調布六ノ八六七。昭和八年十月二日に生る。京都府立××高等学校卒、上京後、芸大烏丸敬篤教授の指導を受く・・・。こんなもんでいいですか?」
「はい、結構でございます。ところで、つかぬことを伺いますが、先生と京都の高等学校とは、どういうご関係で?」
「いや」
和賀は少し笑って答えた。
「実は、高等学校に進むころに病気にかかりましてね、父の商売の関係で京都に知合いがあり、しばらく、そこで静養しておりました。そのまま、何となく京都にしばらく残ることになり、学校も京都に入ったようなわけですよ」
「ああ、なるほど、そういう関係でございますか。いや、よくわかりました」
編集者は大きく合点をした。
片沢睦郎は椅子に腰を掛けて本を読んでいたが、その問答が耳に入ると、ふと、こちらに顔を上げた。
「どうもありがとうございました」
編集者は、和賀にも、田所佐知子にも礼を述べて立ちあがった。ことに佐知子への態度はうやうやしかった。
「ぼくも、これで失敬するよ」
画家の片沢睦郎は、ふらりと起ちあがった。
「あら、まだよろしいんじゃございませんの?」
田所佐知子が言った。
「いや、約束があるんです。ちょうど、時間になりましたのでね」
「そういう奴だ。ここはデートの時間つぶしに来てやがる」
和賀英良がベットのはしに腰を掛けて言った。
「あら、そうなの、片沢さん?」
佐知子が明るい声になって画家を微笑った。
「いや、そんなんじゃないんです。絵描き仲間の会合があるんですよ」
「お隠しにならなくても結構よ。その方がわたしたちもうれしいんですわ」
「違います、違います」
若い画家は手を振って戸口に行った。
「じゃあ、和賀、大事にしろよ」
と、患者を振り返った。
「失敬」
和賀も手をあげた。
|