~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
紙 吹 雪 の 女 (二)
被害者の身元はわかった。捜査一課ではにわかに色めいた。この間、捜査本部をひきあげる時、まるでお通夜のように寂しい思いで解散したのだが、今や、事件解決へ向かって、希望の灯が射し込んだのである
三木彰吉に対する質問も、したがって丁寧なものになった。
「お父さんが伊勢詣りと言って出掛けられた時、だいたい、どのくらいのお金を持って出られましたか?」
養子はそれに答えた。
その金額は聞いたが、それほど大金とは思えなかった。まず、伊勢詣りや近畿を回って来るだけの旅費ぐらいだった。のんびりと予定のない旅に出たいと言ったくらいだから、その宿泊費を含めて、一ヶ月分と計算して、七八万円ぐらいだったという。
「お父さんは、伊勢から奈良へずっと旅行だと言われましたが、亡くなられたのは東京です。それに蒲田というところは、品川からちっと入った土地です。何かそんな土地に用があったのでしょうか?」
今西は聞いた。
「さあ、その点が私もふしぎでなりません。伊勢や大阪を回って来ると言った親父が、なぜ、東京に行ったのか、とんと見当がつかないのでございます」
「東京の方に行くということは、おっしゃいませんでしたか?」
「ええ、それは一つも口に出しませんでした。親父は予定があれば、前もって、それを私ども夫婦にもらすのでございますが」
「しかし、蒲田の駅近くで亡くなられているのですから、あの辺にお父さんの知合いがあったと思うのですが?」
「いいえ、それは心当たりがありません」
「あなたのお父さん、三木謙一さんは、土地の方ですか?」
「はい、岡山県江見町の在です」
三木彰吉は答えた。
「すると、ずっと土地の方ですね?」
「そうです」
「現在の商売、雑貨屋は、二十二三年ぐらい前からお始めになったそうですが、それまでは何をなさったいたのですか?」
「はい、今も申しました通り、私は途中で養子に入ったものですから、詳しいことは知りません。養母も亡くなっておりますので、これは父から聞かされた話ですか、雑貨屋を始める前は巡査をやっていたということです」
「巡査を? ほう、それはどこですか? やはり岡山県ですか?」
「たぶん、そうだと思います。あまり詳しくは聞いたことがないので、よくわかりません」
「すると、その巡査を辞めてすぐに雑貨屋さんになられたわけですね?」
係長は、何となく微笑して聞いた。巡査だったという前身が身近に考えられたからであろう。
「で、いまのご商売の方はどうです。繁盛していますか?」
「はい、江見は田舎の小さな町で、それに山奥ですから人口も少のうございます。それでも、商売の方はどうにか父の代から順調にやってきております」
「お父さんは、他人から恨まれるということはありませんでしたか?」
すると、養子は激しく首を振った。
「絶対にそんなことはありません。養父は誰からも尊敬されていました。私を養子にしてくれたのもそうですが、他人の力になって働くことが多く、そのため前には無理にかつがれて、町会議員になったことさえあります。養父のようないい人はほかにありません。困っている人の面倒をよくみて、誰からも、仏さまのような人だと言われております」
「ははあ、そういうお方が東京で思いもよらぬ亡くなられたをされたのは、残念ですね。われわれとしては、ぜひ犯人を検挙したいと思います」
係長は慰めるように言って、
「それで、もう一度、うかがいますが、お父さんが伊勢や京都、奈良を見物すると言って出掛けられた時、東京に行くという予定は全然なかったんですね?」
「あはい、ありませんでした」
「お父さんは、まえに東京に来られたことがありますか?」
「私の知るかぎりではありません。養父が東京に居住したとか、旅行したとかいうことは聞いておりません」
今西刑事はその問答を傍で聞いていたが、係長の許可を得て質問した。
「あなたの住んでおられる土地に『カメダ』という地名はありませんか?」
「カメダですって? いいえ、そういう地名はありません」
三木彰吉は今西の方向いて、はっきり答えた。
「それでは、お父さんの知合いにカメダという人はいませんか?」
「いいえ、そんな名前の人はおりません」
「三木さん、これは大事なことですから、よく考えて下さい。本当にカメダという人に心当たりはありませんか?」
三木はそう言われて、また何分か考え込んでいたが、
「さあ、どうも私には心当たりはありませんね。いったい、それはどういう人でしょうか?」
と、向うで反問してきた。
2025/03/31
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