~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
紙 吹 雪 の 女 (三)
今西は係長と目顔で相談した。捜査の秘密になることだが、係長はいいだろうというような合図をした。
「実は、あなたのお父さんと、犯人らしい人物とが近くの安バーで飲んでいたのです。それには目撃者はあるのですが、その人たちの言うところによると、あなたのお父さんと、そのあ家の男との間には、カメダという名前が出ていたそうです。カメダが地名か人名か今のところわかりませんが、とにかく、それは二人とも知っている名前だったのです。われわれは、当時、そのカメダの名前を手がかりに捜査したものですかね」
「そうですか」
しかし、それからも若い雑貨屋は考え込んだが、結局返答は同じだった。
「どうも、私には心当たりがありません」
その様子を見つめていた今西は、質問を変えた。
「三木さん、あなたのお父さんは東北弁を話しますか?」
「え?」
三木彰吉はびっくりしたような目つきをした。
「いいえ、養父は東北弁などは話しません」
この返事は、今度は今西栄太郎を驚かせた。
「それは、間違いありませんか?」
「ええ、間違いありません。今も言った通り、私は店員から養子になったのですか、養父が東方の方に住んだとは聞いたことがありません。生まれたのは岡山県江見町在ですから、東北弁を使うはずはないと思います」
三木彰吉は言い切った。
今西栄太郎は係長と顔を見合わせた。
これまで、被害者が東北弁を使っていたことが、一つの決め手だったのだ。それをタヨリに、今西は、秋田県kぅんだりまで出張したのである。
三木彰吉の答えは、完全にその決め手をひっくり返してしまった。
「それでは聞きますが」
今西は迫った。
「あなたのお父さんの両親、つまり、あなたにとって、義理の祖父母になるわけですが、そういう血筋の中に東北生まれの人はありませんでしたか?」
三木彰吉は即座に返事した。
「それもありません。親父の両親というのは兵庫県だそうです。東北なんかには、縁故はありませんよ」
今西は考え込んだ。
では、あのバーで、被害者を目撃した人が、誤って東北弁と聞き違えたのであろうか。
いや、そんなはずはない。一人や二人ではなかった。あのバーに居合わせた客も店の女も、口を揃えて、被害者は、東北弁で話していたと証言している。
今西は当惑した。
「また、何かとこちらで連絡することがあるかと思います。そのときは、ひとつ、ご協力ください」
横から係長が三木彰吉に言った。
「それでは、このまま引き取らせていただいていいでしょうか?」
「結構です。どうも、今度はとんだことでご愁傷さまでした」
係長と今西は、悔やみを述べた。
「ありがとうございます。それで」
と、被害者の養子は聞いた。
「親父を殺した犯人の目星はつかないのですか?」
「それが、今までのところわからなかったのです」
係長はやさしく言った。
「しかし、今度こうして犠牲者があなたのお父さんだということがわかったので、捜査が大変やりやすくなりました。これまでと違って事情がはっきりしてきたので、捜査もその方に重点を置くことが出来ます。ほどなく、犯人をあげることが出来ると思います」
おとなしい養子は頭を下げた。
「しかし、親父は、どうして東京の方に来たのでしょうか?」
これは刑事の方から聞きたいことだが、養子にも解けない謎らしかった。
「そうですね。それがわかると、この捜査はもっと進むと思いますよ。しかし、それも、こちらの方で解決出来ると思います」
係長は慰めた。
三木彰吉は何度もおじぎをして警視庁の玄関を出て行った。今西は玄関まで見送った。
席に戻ると、係長はまだそこに残っていた。
「えらいことになったね」
係長は今西の顔を見ると言った。
「ひどいことになりました」
今西も苦笑した。
「今までの考えは、すっかりひっくり返りました。被害者の身元がわかったのはいいのですが、また元の振り出しに戻りました」
「そうだな」
しかし、係長は今西ほどにはがっかりしていなかった。被害者の身元が割れたので、表情が明るかった。
「これで、どうやら、お宮入りの失点が返上出来そうだよ」
2025/04/01
Next