── つれづれといえば、その時も、村山は長い汽車に飽いていた。だから、甲府から乗って来たその若い女に注意が向いともいえる。
その女は、ハンドバッグのほかに小さな手提げを持っていた。スチュワーデスなどが持っている、しゃれた小型の、青いズックのケースだった。
甲府を過ぎると、汽車は寂しい山地にかかる。彼女は最初、文庫本か何かを読んでいたが、汽車が塩山あたりを過ぎたころ、窓をあけたのだった。まだそれほど暑い時候ではないから、向い側のあいた窓から冷たい風が入って来たのを、村山は憶えている。
女はその窓から暗い外をのぞいていた。夜だから気色が見えるわけはない。遠くに人家の寂しい灯が流れるだけで、あとは黒い山の連続だった。それでも、女は窓際に体を向けて、熱心に外を眺めている。
ははあ、この線にはあまり乗ったことの女だな、と村山は思った。甲府から乗ったことがわかってうぃるから、土地の人が東京に遊びに行くのかも知れないと思った。
が、それにしては、その女の服装は何となくアカ抜けていた。平凡は黒いスーツなのだが、着こなしがいい。やはり東京で生活をしている人間としか思えない。ほっそりとした横顔で、体つきもすらりとしていた。
村山は、自分の読んでいる本に目を戻した。そのうち一ページと読まないうちに、その動作に気づいたのである。
その女は、小型のケースを膝に取って中をあけると、何やら白いものをつかんで、窓の外に捨てはじめたのである。
それが、ちょっと無邪気な動作であった。
はてな、と思った。
村山は、そっと横目で見た。
その女はいったい何を捨てたのか、その小さなケースから握っているものを見ると、どうやら白いものなのである。
外は汽車の進行で風が起こっている。女は窓の外に手を出して何か捨てている。
そらが塩山あたりから次の駅の勝沼までの間だった。
最初、それは何か不要な紙でも捨てたのかと思った。
ところが、彼女はそれからしばらく本を読み続けていたが、今度は初鹿野と笹子との間でも、本を置いて、また小さなケースから何か握っては窓の外に捨てはじめた。
何をやっているのだろうと、村山は軽い興味を起こした。そこで手洗いに立つようなふりをして、車両の端に歩いた。
そこで、窓の外を何気なく見たのだが、暗い中に白い小さな紙が吹雪のように、風に散っている載った。五六片ぐらいだから、吹雪きという形容は大げさだが、とのかく、そんな感じだった。
村山は思わず微笑した。その子供らしい所作に微笑を誘われたのであっる。彼女も汽車の退屈をそんないたずらでまぎらわしているのかと思った。
村山は席に戻った。
それから、本を手に取って読み続けたが、どうも、通路を隔てた向い側の彼女のしぐさが気になった。
すると、大月駅近くになってから、また、彼女は小さなスーツケースに手を入れて、紙吹雪を撒きはじめたのである。見たところ、二十五六ぐらいで相当教養もありそうな女と思うのだが、それだけに、そのいたずらっぽい仕方が変わっていた。
やがて汽車は大月駅に着いた。
すると、新しく二等車に客が入って来た。その中の五十近くに年輩ででっぷりした紳士が、車内をじろじろ見まわしていたが、やがてその女の向い側に腰をおろした、薄茶色の上等の洋服を着て、同じ色のハンチングをかぶっていた。
紳士は、ポケットから二つ折りにした週刊誌を出して読みはじめた。
それとなく見ていると、彼女の方は自分の斜め前に新しい客が来たので、ちょっと当惑げだった。それでも窓をいめようとはしなかった。そのまま列車は進行した。すると、大津を出ていくつかの小さな駅を過ぎたころから、彼女はまたもや白い紙の小片を暗い闇の中に撒きはじめたのだった。紳士は寒風が入って来るので、ちょっと顔をしかめたが、若い女の方をちらりと見ただけで、別に苦情は申し立てなかった。
そのまま、村山は本の世界に入った。しばらくして気づいたのだが、彼女は、もう窓をしめていた。別段、紳士が文句を言った声を聞かなかったから、彼女の方で自発的に窓をおろしたと思える。
彼女は小さな本を手に取って読みふけっていた。黒いスカートの下からきれいな脚を見せている。 |