今西栄太郎は、妹が帰るというので、駅まで見送ってやることにした。
「お雪さん、泊まっていったら?」
と、妻が言ったが、妹は家の方が気にかかると言って、帰り支度にかかった。
「それみろ、旦那が夜勤だからハネを伸ばしに来たんだと言いながら、やっぱり、女は家のことが忘れられないだろう?」
今西は言った。
「やっぱり、だめね」
妹も笑っていた。
「普通の日では泊まれないわ。夫婦喧嘩のときでないとその気になれないのね」
妹を送って今西夫婦が家を出た。かなり遅い時刻なので、通りの半分の家は戸をしめていた。狭い路地が暗くなり、ところどころ遅い店が灯を道に投げている。
人通りは少なかった。やがて、新しく出来たアパートの傍を通った。やはり、商売柄、妹はそのアパートを立ち止まって眺めていた。
「わたしも、せめて、これくらいのアパートの半分でも持ちたいわ」
彼女は嘆いた。
「今のうちに、さっさと家賃をためこんで、資金にするんだな」
今西は笑った。
「だめよ、これで生活費がかさむから、とても追っつかないわ」
また、三人で歩きだした。
すると、向うから洋装の女が歩いて来ていた。店の灯が、その前を通る瞬間の彼女の横顔を照らした。
背のすらりとした若い女だった。今西の歩いている横をはばかるようにして、急ぎ足で過ぎた。
五六歩行ったところで、今西は妻にささやかれた。
「あの人ですよ」
今西が何のことかと思っていると、
「そこのアパートにいる劇団の人ですよ。ほら、いつか話したでしょう? 新劇の女優さんということですが、それは間違いで事務員さんだそうです」
今西は振り返った。この時は、もうその女の姿はアパートの方へ消えていた。
「劇団の人だから、てっきり、女優さんという噂が立ったんですね」
「そうか」
今西はまた歩きだした。
「何ですの?」
妹が横から口を入れた。
「いいえね、先日、そこのアパートに新劇の人が越して来たんです。かわいい顔をしているので、みんなが女優さんかと思い違いしたんですわ」
「どこの劇団かしら_?」
「さあ、そんなことは聞かなかったけれど」
妹は映画や芝居が好きだった。だから、劇団の名前を聞いたのだ。
「あれで、部屋代は幾らかしら?」
妹の関心は、今度は、そのアパートに向かった。
今西の妻が答えた。
「さあ、六千円ぐらいだといういことですわ。でも、敷金は別でしょうかれど」
「六千円じゃ、劇団の事務員さんには辛いでしょうね。だれかパトロンがいるのかしら」
駅の明るい灯が見えて来た。 |