~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
方 言 分 布 (二)
「何だね?」
課長は今西に目を向けた。
「はあ、ほかでもありませんが、課長さんは物知りですから、うかがってみたいと思って、来たのです」
「物知りでみないがね」
課長は含み笑いをした。
「ぼくの知っていることだったら、言ってあげられるかもしれない」
「東北弁のことです」
今西は切り出した。
「なに、東北弁?」
課長は頭を掻いた。
「あいにくと、ぼくは九州生まれだから、東北弁には弱い」
「いや、そういうことではありません。東北弁を使っているのは、東北以外に、日本のどこかにいないかということです」
「さあ」
課長は頭をかしげた。
「君の言う意味は、個人的なことではなく、土地としてのことだね。つまり、東北出身者がよそに行って話していると意味ではなく、その土地全体の人がそれを使っているという意味だろう?」
「そうなんです」
「さあ、それはどうかな」
課長は煙草をくゆらせていたが、顔は否定的だった。
「それは、ちょっと、考えられないだろう」
彼は考えた末に言った。
「東北弁は、あの地方特有のものだからね。福島、山形、秋田、岩手、宮城、この六県以外にはないだろう。もっとも、群馬や茨城の北の、つまり、福島寄りに近い方は、その影響を受けていると思うけどね」
「そうする、それ以外の地方で、そういう方言を使わないんでしょうか?」
「さあ、それは考えられないね」
物知りの広報課長目をまたたいた。
「いったい、方言の分布というのは決まっているんだろう。北からいえば東北、関東、関西、中国、四国、九州、それぞれ大まかに分かれていると思う。だから、君が質問するように、東北弁が、たとえば四国の一部にあると、九州の一部で使われているというようなことは、考えられないんじゃないかね」
今西は、その返事で落胆した。しかし、それは彼の考えていることと同じ意見だった。
すると広報課長は、気づいたように、
「いいものがあるよ」
と言って立ちあがり、後ろの書棚から大きな厚い本を抱えて来た。それは百科事典の中の一冊だった。広報課長は、それを、どっこいしょ、といって机の上に置き、自分でページを繰っていた派、ある場所を見つける、先にざっと目を通した。
「君、ここんところを読んでみたまえ」
と、それを今西の差し出した。彼、その部分を読みはじめ。ぎっしり組まれた活字である。

「明治時代以後では、まず大島正健が発音の部分からみた裏日本・東日本・西日本・の三分説を唱え注目をひき、ついで文部省の『語法調査報告書』が大規模な調査にもとづき、語法をみとにして東日本・西日本・九州の三分説を出して一時期を画した。現在最も権威あるものとされてるのは以上の説を綜合した東條操の提出した説で、はじめて世に問うた『国語の方言区画』以来幾度か修正が加えれているが、その最新のものは『日本方言学』にみえるもので、次のように区画するものである。
東部方言
北海道方言・東北方言(越後北部を加える)・関東方言(山梨県郡内地方を含む)・東海東山方言(越後南部を加える)・八丈島方言
西部方言
北陸方言・近畿方言(若狭地方を加える)・中国方言(但馬・丹後地方を加える)・雲伯方言・四国方言
九州方言
豊日方言・肥筑方言・薩隅方言
これに対する異説としては、都竹通年雄のもの、奥村三雄のものが注目される。
都竹の説は全体を東日本・西日本・九州と分ける点は東条と一致するが、東部は、東海東山のうち静岡・山梨・長野三県だけを含め愛知・岐阜を西日本の方に入れる。
また東部方言では、東北方言を北奥羽放言と南奥羽方言に分け、北海道方言は北奥羽方言に入れ¥、栃木・茨城方言は関東の方言の内から除いて東北方言にくり入れ、越後方言を東部方言のうちの一つとして立てる。西部方言は、だいたい、東条のとおりであるが、近畿方言から十津川・熊野方言を分離独立させる。
奥村の説では、まず西部放言と九州放言とを摂して一類とし、日本語全体を東日本方言と西日本方言の二対立とする。東日本方言は東条の東部放言とほぼ一致させ、奥羽・関東北部(茨城・栃木)・越後東北部方言と関東大部・東海東山方言に二分する。この場合、八丈島方言は後者の方に入れる。次に西日本方言は九州方言と関西方言に二分し、この場合、九州東北部方言(福岡東部・大分)は後者の方にくり入れる。
・・・・関西方言は、これを近畿・四国・北陸各方言の大部と中国・丹後・但馬および四国西南部・九州東北部の方言と二分する。
これらの見方の中でどれがすぐれているかは。方言の研究が、もっと進んでから決定されてくる問題である。現在のところ、方言の諸部面のうち、最も研究の進んでいるのはアクセントの分野である。服部四郎、平山輝男らの熱心な研究家の手によって、ほぼ全国の各市町村のアクセントのだいたいの性格は見当がつけられており、相互の近親関係もほぼ見通しがついている。全国の方言は東京語に似たもの、京都・大阪語に似たもの、それ以外の型の区別をもついもの(たとえば、九州南部に分布するもの)、型の区別をもたない方言に分けられ、その分布状態はなかなか複雑である」
2025/04/09
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