「中国方言とは、山陽・山陰両道のうち岡山・広島・山口・鳥取・島根の五県の方言を総称するものである。この方言を更に二区に分ける。一は出雲・隠岐と伯耆との三国の方言で、これを雲伯方言となづけ、その他の地方に行なわれる方言を、かりに中国本部方言と名づけたい。もっとも因幡の方言は山陽道諸国の方言と相違する点もあるが、便宜上、岡山・広島・山口諸県と、石見・因幡両国の方言を一括して考えることとする。
その出雲一国も細別すれば際限がないが、飯石郡の南部のごときは全く中国系で出雲方言でないのに、石見の安濃郡(昭・29郡名消滅、現在の太田市付近)のごときはかえって出雲系である。伯耆では東伯郡はむしろ因幡に近く、西伯・日野両郡が出雲系であるといって大過はない。
出雲の音韻が東北方言のもにに似ていることは古来有名である。たとえば「ハ」行唇音の存在すること、「イエ」「シス」「チツ」の音の曖昧なること、「クウ」音の存在すること、「シェ」音の優勢なることなどを数えることができる。ために学者間には、この両地方の音韻現象の類似を説明せんとして種々仮説も主張されている。たとえば日本海沿岸一帯がもと同一な音韻状態を保持していたところに、京都の方言が進出して、これを中断したと見るごときもその一説である・・・」
今西はここまで読んできて、胸が高鳴った。
東北弁を使うところはほかにもあった。しかも、東北地方とは全然逆の中国地方の北側である。
「こういうのもありますよ」
と、桑原技官はもう一冊の本を出してきてくれた。
「出雲国奥地における方言の研究」というのだった。
「出雲は越後並びに東北地方と同じように、ズーズー弁が使われている。世にこれを『出雲弁』と出雲訛あるいはズーズー弁と称えられてわからない発音として軽蔑されている。このズーズー弁の原因について、次のような諸説がある。
(一)ズーズー弁は日本の古代音でるという説 ── 日本古代の音韻はズーズー弁であったという。すなわち、古代には日本全国これを用いていたが、都会に軽快な語音が発達し広がるにしたがい、ズーズー弁の区域は逐次減少し、残された区域が出雲・越後・奥羽地方の辺鄙な所のみのなった。
(二)地形並びに天候気象によるという説1 ── 出雲地方は僻地で結婚も近親のみでほとんど行なわれ、部落ごとに通ずる言葉だけで事が足り不明瞭に話してもよいという習慣が蓄積された。あるいは降雨多く晴天に恵まれないた、人びとの活気を失いかつ冬季西風強く口を開くのをきらったのが、ズーズー発音の素因をなしている」
今西はこれを二度ゆっくり読み返した。
東北と同じ言葉が出雲の奥地に使われている ──。今西はその論文めい文章を頭の中に叩き込んだ。
すると、桑原技官は、いつの間にか、もう一冊の本を探し出してくれた。
それは東条操編『日本方言地図』というのだった。
「これをみても、その説明がわかりますね」
技官は指を当てた。それは日本各地の方言区域が赤・青・黄・紫・緑などに分かれれて、塗られてあるのいだが、東北地方は黄色になっていた。中国地方は青色になっている。ところが、中国地方の中でも、出雲の一部分だけが東北と同じ黄色になっているのだった。つまり、出雲の一部分だけがぽつんと東北と同じ色になって、黄色の中に点のように落ちているのだ。
そのほかの地方に、東北と同じ黄色はどこにもなかった。
「不思議ですね」
と、今西は太い息を吐いて言った。
「出雲のこんなところに、東北と同じズーズー弁が使われていようとは思われませんでした」
今西は嬉しさを押さえて言った。
「そうですね。ぼくも実はこれで初めて知ったんです。あなたの質問で、ぼく自身が教えられたようなもんですね」
技官は笑っていた。
「どうもありがとうございました」
今西はていねいに礼を述べて立ちあがった。
「お役に立ちましたか?」
「たいへん参考になりました。どうもお世話になりました」
今西は技官に送られて国語研究所を出た。ここまで来たかいはあったのだ。いや、期待以上の収穫だった。
今西の心はおどっていた。被害者「三木謙一」は岡山県の人間であ。出雲とは隣り合わせの国だ。
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