~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
方 言 分 布 (五)
今西は都電に乗る前に、近くの本屋に寄って、島根県の地図を求めた。
彼は本庁に帰るのも間遠しく、本屋のすぐ隣の喫茶店に飛び込んだ。ほしくもないアイスクリームを頼んで、地図をテーブルの上に広げた。今度は、出雲から「亀」の字を探すのである。
地図には、虫が這うような字が一面に埋まっている。
それをいちいち読んでいくのは、ようやく老眼になりかけた今西の目には骨だった。
窓際に寄って、小さな字を一つ一つ目で拾っていった。
彼は右端から順序を立てて丹念に捜索した。
すると、途中で、思わず息をのんだ。
「亀嵩」とあるではないか。
「かめだか」と読むのであろうか。
今西は瞬間ぼんやりした。あんまり造作なく期待通りのものがすぐ出て来たのである。
この亀嵩位置は、鳥取県の米子から西の方に向かって宍道という駅がある。そこから支線で木次というのが、南の中国山脈の方に向かって走っているのだが、「亀嵩」はその宍道から数えて十番目の駅だった。
亀嵩の地形はまさに出雲の奥地である。たった今、国語研究所で見せてもらった資料のズーズー弁の使われている地方のどまん中だった。
地図の上からみると、亀嵩は中国山脈にその背面を遮られ、東西は山地に挟まれ、わずかに宍道方面に平地がひらけている狭隘な地域であった。
亀嵩は「かめだか」と読むのであろう。「かめだ」と「かめだか」よく似ている。
最後の「か」は、語尾が不明瞭のため、目撃者の耳に届かなかったと思われる。
出雲弁と、「かめだか」の地名 ──。しかも、被害者三木謙一の住んでいた岡山県のすぐ隣県である。条件は揃っていた。
今西は、ここで被害者の養子の言葉を思い出さずにはいられなかった。
「養父は巡査をしていたことがあるそうです」
それなら、三木謙一は島根県で巡査を奉職していたのではなかろうか。
今西は胸の動悸をおさえることが出来なかった。こんどこそはホンモノである。彼は自分の体じゅうに気力がみなぎってくるのを覚えた。
本庁に帰るまでの電車の中で、彼はこの発見のことばかえりが頭の中を占めた。せまい車内はひどく混んでいたが、あたりの話し声が耳に入らなかった。
警視庁の帰ると、彼はすぐに係長のところにまっすぐに進んだ。
彼は係長に地図を見せ、自分の手帳に控えた方言の参考書の文句を見ながら、詳細に説明した。
「それは、たいそうなものを見つけたもんだね」
係長も目を輝かした。
「君の考えている通りだと思う。で、これからどうする?」
「私の考えでは」
と、今西は自分を無理に落ち着かせて言った。
「被害者の三木謙一は、岡山県の江見で雑貨商をするまえに巡査をしていたと、養子が言っていました。私の推定では、この被害者は、あるいは、巡査時代には島根県の駐在所まわりだったっと思いますから、この亀嵩にも一時期いたのではないかと考えます。謙一とあの安アパートで出会った男は、その時期に知り合った人物ではなおいかと想像されますね。つまり、相手の男はかつて亀嵩に住んでいたことのある人間だと思うのです」
係長は大きな息を吸い込んだ。
「そうかも知れない」
と、彼は言った。
「よろしい、それでは、さっそく、島根県の警察に、三木謙一なる人物が巡査として奉職していたかどうかを、照会してみよう。その方が先決だね」
「ぜひ、そうお願いいたします」
今西は頭を下げて、心から頼んだ。
「古い話だね」
と、係長は呟いた。
「被害者が巡査をしたのは、もう二十年も前だろう。そのころの因縁が今度の事件の原因になっているのかな」
「その辺はまだよくわかりませんが、何か彼の巡査時代にこの事件の鍵があるのかも知れませんよ」
「よろしい。古いことだから県警でも調べるのに手間がかかるだろう。警察電話でなく文書の上で照会する。ぼくは、これから課長のところに行って話してみるよ」
2025/04/10
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