~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
方 言 分 布 (六)
島根県警からの回答は三日後に届いた。この朝、今西が本庁に出ると、係長がさっそくそれを見せてくれた。
「君、吉報だぞ」
係長は今西の肩を叩くようにした。
今西は急いでそれに目を走らせた。
「警捜一 第六二六号 貴照会の件についてご回答申し上げます。
三木謙一について当方で調査した結果、同人は昭和三年より十三年まで島根県警察部巡査に奉職していることが判明いたしました。すなわち、同人の所属については先の通りであります。
昭和三年二月島根県巡査を拝命、松江署に配属。四年六月大原郡木次署に転属、八年一月巡査部長に昇任、同三月仁多郡仁多町三成署に配属され、同町亀嵩巡査駐在所詰めとなる。十一年警部補に昇任、三成警察署警備係長となり、十三年十二月一日依願退職となる。
右の通り調査の結果ご報告いたします」
今西栄太郎は思わず溜息が出た。
「君が思った通りだったね?」
係長は横から言った。
「やっぱり、被害者は長い間、出雲の奥地で巡査を勤めていたんだよ」
「そうですね」
今西は半分夢を見るようだった。今度こそ間違いはなかった。はじめて暗い迷路から出て来て、目の前がにわかに開けた感じだった。
今西はさっそくポケットから地図を取り出した。
木次署といい、三成署といい、いずれも亀嵩の近くで同じ出雲の奥地である。つまり、東北弁に似たズーズー弁の出雲弁が使われている地域なのだ。
被害者三木謙一は、この地方で十年間巡査として暮らしていたのである。
被害者三木謙一がこの土地の訛りを使っていたのは、ふしぎでも不自然でもなかった。
なお公文書には、亀嵩を「かめだけ」と注をしている。亀嵩は「かめだか」ではなく「かめだけ」と読むのだ。
目撃者が聞いた「かめだ」は実際は「かめだけ」と言ったのであろう。研究所で読んだ資料にも、この地方の人は語尾がはっきりしない、とある。
今西栄太郎は電話で吉村を呼び出した。
「君に、ちょっと話したいことがある。今夜帰りに会ってくれないか?」
今西は明るい声で言った。
「わかりました。どこで会いましょう?」
「そうだね、やっぱりこの前のおでん屋にしようか?」
「さかりました。なにか耳よりなことがあったんですか?」
「ちょっとね」
と、今西は電話で思わず笑った。
「会ってあら話すよ」
六時半に二人は渋谷駅で落ち合った。
「いったい、何ですか?」
吉村は今西の顔を見るなり聞いた。
「まあ、だんだん話すよ」
今西自身も嬉しかった。この発見を今まで苦労した吉村にぜひ話してやりたい。彼は笑うまいとしても、自然に微笑が出た。
「何だか嬉しそうですね?」
吉村はコップを抱えて今西に言った。
「実はね、被害者と東北弁の関係がトレたんだ。そればかりではない。カメダも出てきたよ」
「え、ほんとですか?」
吉村は目を丸くした。
「ぜひ早くそれを聞かせてください」
ここで今西は、国語研究所で資料に基づく東北弁の方言分布のことを披露した。
それから、わざわざ持って来た地図を吉村の前に広げて「亀嵩の地点を見せた。
「君、ここなんだよ。よく字を見てくれ」
彼は指で地図の上に輪を書いた。
「ほれ、この地域一帯がいま言った東北弁のズーズー弁を使うのだよ。ぼくらは錯覚していた。あの蒲田の安バーで話していた二人は、この地方の人間なんだ」
今西の言葉に力があった。
「それを目撃者が、てっきり東北弁と思い込んでしまったんだね。それに被害者の三木謙一は島根県で巡査をしていたことがある。しかもだよ」
今西はもっと口調を強めた。
「彼は、この亀嵩を中心に十年間も巡査として奉職していたんだからね」
吉村は若い瞳をじっと据えて今西の説明に聞き入っていたが、やがて先輩の手を握った。
「すばらしい」
彼は叫んだ。
「すばらしいですよ、今西さん」
「君もそう思うか?」
今西は持ったコップを置いて。吉村の手を握った。
「今度、ぼくはこの地方に行って来るよ。君も連れていきたいんだけれど、ホシを探しに行く時と違って、こういう調べだからね」
「ぼくも行きたいな。でも、仕方がありませんよ。今西さんの吉報を待っています。しかし、うまくいきましたね」
吉村の声が弾んでいた。
「うん、しかしなこれからが大変だよ」
今西は大きな息を吸い込んだ。
2025/04/10
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