今西栄太郎は七時半に目が覚めた。米原を過ぎていた。
窓からのじくと、朝の陽が広い田畑に当たっている。畑の果てに、水がちらちら光って見え隠れした。琵琶湖だった。
ここに来るのも何年かぶりだ。前に、大阪までホシを受け取りに行ったことがある。旅行していると、記憶がことごとくそんな仕事にばかり引っかかる。
あの時のホシは、強盗殺人犯で、大阪に逃げていたのを受け取りに行ったのだ。二十二三のまだ子供みたいな顔をした男だった。
京都で弁当を買って朝飯をすませた。
昨夜、妙な格好で寝たせいか、頸筋が痛い。今西は、自分の頸を摘まんだり、肩を叩いたりした。
それからが長い旅だった。京都を過ぎて福知山に出るまで、山の中ばかりで退屈だった。
豊岡で昼飯を食べた。一時十一分だった。
鳥取二時五十二分、松江五時十一分。
今西栄太郎は、松江駅に降りた。
このまま亀嵩まで行くと、三時間以上かかる。そこまで行っても、すでに警察署は係りが帰ってしまっている。今日のうちに足をのばしても、むだだった。
今西は、松江は初めてだ。駅前の旅館に泊まり、安い部屋に通してもらった。刑事の出旅費は少ない。贅沢は出来ないのである
夕食を食べて、街に出た。
長い橋がある。宍道湖が夜の中にひろがっていた。湖岸には、寂しい灯が取り巻いている。橋のすぐ下から、灯のついたボートが出ていた。
初めての土地に来て、いきなり夜の水の気色を眺めるのは旅愁を覚える。
今西は、疲れていた。
昨夜は、寝苦しいところで十分な睡眠も出来なかったし、今日は、それからずっと乗りつづけて来たので、体が痛かった。
今西は、すぐに宿に帰り、按摩さんを呼んでもらった。刑事の出張旅費では按摩は贅沢だが、奮発した。
若い時は、どんな無理をしても、こんなことはなかったが、やはり年だった。
按摩は三十ぐらいの男だったが、今西は料金を前渡しして、
「揉んでもらっているうちに、眠るかも知れないからね。眠ったら、いい加減にして帰ってもらってもいいよ」
布団の上に手足を伸ばして揉まれていると、実際に眠気がさしてきた。疲れているのだ。
按摩は何か話しかけていたが、それにいい加減な相槌を打っているうちに、自分ながらその返事がおかしな声になってきた。今西は、そのまま深い眠りの中に落ちた。
一度目が覚めたのは、四時頃だった。枕もとに薄い灯がついている。
今西は腹ばいながら煙草を吸い、それから手帳を出して思案した。
俳句を考えているうちに、また眠くなってしまった。
今西栄太郎は、宍道から木次線に乗り換えた。
時代おくれの旧式の列車かと思っていたが、ディーゼルカーなのであんがい新しい感じがした。しかし、その先の景色は今西がぼんやり予想した通りだった。山がせまり、田が少ない。川が始終見えかくれしていた。
ディーゼルカーの乗客は、ほとんど土地の人だった。今西はその人たちの話している言葉に耳を傾けたが、確かにアクセントが違う。尻上がりな調子が耳についた。しかし期待したほど強いズーズー弁は聞かれなかった。
夏の強い陽が、山の茂みを白く乾かしている。途中でいくつもの駅を過ぎたが、人家は駅のあたりにかたまっているだけだった。すぐに山の間に入るのである。
出雲三成の駅におりた。
ここは仁多郡仁多町で、亀嵩はこの三成警察署の管内になっていて、そこには八出所があるだけだった。だから、まず、三成警察署に行く必要があった。
駅は小さかった。だが、仁多の町はこの地方の中心らしく、商店街も並んでした。
駅前のゆるやかな坂をくだると、その商店街に入るのだが、眠ったような店先には電気器具や、雑貨や、呉服物などがあった。「銘酒、八千代」の看板が目につくのはたぶん、この辺で醸造される酒なのであろう。 |