~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
方 言 分 布 (十)
今西は三木謙一が殺された原因を、彼の警察官時代に求めている。それは必然的に彼の暗い過去を期待してきたようなものだった。だから、いま、三木謙一について明るい話を聞くと、ちょっと当てが違うのだ。
「三木謙一さんという人は」
と、署長は言った。
「聞けば聞くほど立派な人ですね。そういう方が当署におられたのは、われわれの誇りですが、どういう因縁か、そんな不幸な目にあわれたのはお気の毒なことです」
「そうですね」
今西栄太郎は、三木謙一の養子が言った、親父は仏さまのような好人物だった、という言葉を思い出した。
「しかし、私の話だけではご参考にはならないでしょう」
署長はつけ加えた。
「三木さんについては、もっといろんなことをお調べになりたいでしょう。格好の人がいますよ。この町ではなく、三木さんが派出所勤めをしていたことのある亀嵩ですがね。そこの人にあなたが来ることを通じておきましたから、今日あたりはたぶん待っているでしょう」
「ははあ、それはどういう人ですか?」
「ご存じかも知れませんが、この亀嵩というところは算盤の生産地なんです」
署長は説明した。
「高級算盤は、この亀嵩で造られて、出雲算盤として全国に名前があるのです。その人はその算盤製造業で桐原小十郎さんといいます。一番の老舗ですかね。この桐原さんが三木さんと前に親しかったのです。私が話を聞いてあなたにお伝えするよりも、東京からせっかく見えたのですから、直接に尋ねられる方がいいと思います」
「そうですね。では、桐原さんに会わせていたがきましょうか」
「亀嵩というと、ここからちょっとあります。バズも通っていますが、回数が少ないので、署のジープを用意させておきました。どうぞお使いください」
「それはどうもありがとうございます
今西は礼を述べたあとで言った。
「ちょっと妙なことをおたずねしますが」
「ははあ、何ですか?」
「いえ、署長さんのお話しを聞いていると、言葉が標準語とちっとも変わりません。この地方でお生まれになったと聞きましたが、失礼ですが、そうは思われないくらい訛りがありませんが」
「いや、それはですね」
と、署長は笑って言った。
「わざと、こちらの言葉を使わないだけですよ。今では若い人は、田舎言葉を出すのをだんだんやめているようですね」
「それはどういう理由ですか?」
「この地方の人は、自分の田舎訛りに気はずかしさを持っているのです。ですから、他所の人と話す時は出来るだけ標準語に近い言葉で話していますし、あのディーゼルカーで宍道に出る時も、町の近くになると、田舎言葉を話さないようにしています。まあ、それだけ劣等感を持っているんでしょう。一つは、交通が開けたことにも由来するでしょうね。なにしろ、この辺の言葉をしのまま話すとひどいズーズー弁なんです。今では、よほどの山奥か年寄りでないと、そんな言葉は使っていないようです」
「亀嵩はどうでしょうか?」
「そうですね。亀嵩はここよりは使っているでしょう。あなたにご紹介した桐原さんも年寄りですから、われわれよりは訛りがひどういようです。けれど、あなたがいらしても田舎弁まるだしということはないでしょう」
今西栄太郎は、実はその出雲弁が聞きたかった。
2025/04/13
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