~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
血 痕 (四)
今西栄太郎は中央線に乗った。行先は塩山である。
行くときは右側の窓を開け、子供のように首を出した。相模湖を過ぎたあたりから、線路沿いを凝視した。山間には夏草が茂り、田には青い稲が成長していた。
今西は気をつけて見たが、瞬間に走り過ぎる列車の窓からでは。もとより目的のものが目に入るわけはなかった。
朝早く新宿駅を発った。今日は一日中、この中央線の往復につぶすつもりだった。
往きは準急だったが、帰りは各駅停車の鈍行に乗ることにした。それも、何本もの汽車に乗り換えなければならない。
新聞記者の村山が目撃したという女が、汽車の窓から紙片を撒いたのがだいたい、次のような地点だった。
塩山 ─ 勝沼
初鹿野 ─ 笹子
初雁 ─ 大月
上野原 ─ 相模湖間
やっかいで骨の折れる仕事である。それに当てのない話だった。その女が紙吹雪を撒いてから、すでに、三ヶ月以上になる。村山の話によると、それは小さな紙片だったというから、現在、そのままそこに残っているかどうかわからなかった。唯一の頼みは、それが普通の道でなく、線路のわきという条件だから、あんがい、草むらの中にひそんで残っているかもわからない可能性だった。
だが、いずれにしても、その時から百日近く経っている。小さな欠片だからどこかに吹き飛ばされてわからなくなったことも考えられるし、また、その後、雨が何回も降っているので、それに流されてしまったということも考えられる。
今西は、塩山駅でおりて駅長に会い、線路沿いに歩く許可を求めた。捜査のためだと言うと、
「それは、ご苦労さまですな。しかし、列車が頻繁に通過しますから、どうか気をつけて下さい」
と承諾してくれた。
塩山から勝沼までは、ほとんど山沿いである。
今西は線路わきの小さな路を目を地上に落としながらゆっくりと歩いた。暑い日である。枕木の間に詰めた小石も、すぐ横の斜面に生えた草むらにも、入念な目を向けなければならなかった。
今西は、むずかしい仕事とは思ったが、実際にやってみて、ほとんど自分の企てが、絶望的あえることを知った。徹底的にそに紙片を探そうと思えば、人夫でも雇って沿線の草刈りでもしなければならない。その場合でも範囲が広いから、砂漠の中から一粒のダイヤを見つけるようなものだった。
ただ、頼みに思うのは、その欠片が白いということだけである。青草の中にこぼれていれば、その白さが目立つだろうと思った。
しかし、歩いてみてわかったのだが、線路わきにはいろいろな物が落ちている。紙きれもあれば、ボロの切れ端、空きびん、弁当の殻、さまざまだった。今西は五百メートリも歩かないうちにうんざりした。
しかし、せっかく、来たのだ。諦めて帰ることも残念だし、また、それは出来なかった。何としてでも、たとえその一枚だけでも発見したかった。今西の歩いている前を、とかげが青い背を光らせて過ぎた。
今西は歩いた。
大変な苦労だった。熱い直射日光の下だし、カッと照っている地面を見つめて歩いていると。しまいに目が眩みそうだった。線路の鉄も灼けていた
塩山から勝沼の間は徒労だった。
今西は勝沼駅に着くと、すぐ水を飲んだ。
しばらく休んで、また歩き出した。勝沼、初鹿野間も長い。やがて初鹿野も過ぎた。
線路わきの土堤にはあいかわらず夏草が生い茂っている。その下に小さな溝があり青い稲田が展がっていた。
今西は汗を拭いながら歩いた。目を大きくあけて地面を絶えず見つめないと、うっかり見逃しそうである。なにしろ、探すものが小さな欠片なのだ。
その間に、上りと下りの列車が何回か通る。通過の直後には風が来るが、そのあとはうだるような暑さにかえった。
線路わきの斜面を蔽った夏草の中にも、雑多なものが落ちている。これが彼の支線を妨げて、目を迷わすのである。
体も疲れたが、まず目が最初に参った。
これではいけない、と勇気を振るい起こして歩いた。
線路から遠く離れて甲州街道がのびている。白い往還をトラックが砂塵を上げて走っていた。
今西はとぼとぼと歩いた。歩いても歩いても、探し物は目に入らない。今西は絶望しかけた。ずいぶん古いことで、それを探し出すのが奇跡なくらいである。
線路は山道にかかった。向うの方にトンネルの入口が見える。笹子トンネルだった。
2025/04/17
Next