~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
血 痕 (六)
今西は、警視庁に帰った。
中央線の塩山駅から相模湖駅の間で採集した布片は、結局、全部で十三枚だった。いずれも同質で同じ布を小さく切ったこがわかった。
たいそう骨の折れる仕事だったが、それでも三ヶ月以上経った今日、それを発見することが出来たのは僥倖に近いと言わねばならない。風が吹けばどこへ散るかわからないような小さな布である。
学芸部の記者が紙吹雪だと思ったのは、今西が推定した通りであった。今西が、布片のことを思いついたのは、銭湯で浸っている時、返り血をあびた犯人の衣服が浮かんだからである。
被害者の返り血を浴びた衣服を犯人はどうして処分しただろうか。自宅のどこかわからない場所に隠すか、火に燃やすか、土の中に埋めるか。海や川に捨てるか、処分方法はいろいろである。
しかし、犯人側から言えば、理想的なのは、その形を無くすることである。土の中に埋めても、海に流しても、だれかに発見されるおそれがないではない。
こういうことから考えると、やはりこれを燃やして灰にすることが一番である。だが、衣服を燃やすというのは、かなり人目に立つ仕事なのだ。隠れてこっそりとやっても、あのキナくさい臭いは消しようもあるまい。
そてに、犯罪者の真理として、実際以上に、そういうことは気にかかるものであることを、今西は経験からよく知っていた。
蒲田操車場殺人事件の犯人は、相当な返り血を浴びている。今西は、犯人が自宅に帰る途中、それをどこかで着替えている、と推定推定しているのだが、そこには当然、犯人への協力者が居なければならない。
犯人が血染めの衣類の処分をするとすれば、協力者がその仕事を引き受けたのではなかろうか。ここにおいて、今西は、その協力者を女性だと考えた。「紙吹雪」の話を聞いた時、それは紙ではなく、もしかすると白い布の細片ではないかと気づいたのは、実にその証拠の消し方だった。
今西は、この着想から、随筆にある中央線の線路伝いに、一日中炎天に晒されながら探して歩いたのだが、幸いに、その努力は報いらてたと言っていい。
確かに、この布片は三ヶ月以上現場に捨てられてあることを証明するように、雨に打たれた跡もあり、淡いグレイの布片はうす黒く変色している。のみならず、一番大事な血痕と思われる茶褐色の部分が、その十三枚のうち七枚に付着しているのだ。
しかし、果たしてそれが人血であるかどうかは、鑑識に回して化学検査をしてもらわなければならない。
今西は鑑識課を訪ねた。いつも事件のたびに世話になっている吉田技師に、彼は布片を出した。
「なるほど、これは血ですな」
吉田技師は、その布片を掌に乗せて眺めてから言った。
「血液の予備試験にはベンジンとルミノールの両方がありますが、この場合ルミノール試験をやってみましょう」
吉田技師は今西の出した布片を持ち暗室に入った。
今西は、ベンジン試験というのは何度も見ている。それは綿に血痕を浸して、その上にベンジンをたらすと、白い綿が、ちょうどピースの箱の色のように濃紺色に染まるのだ。
また事件が夜間発生し、暗闇で試験を行なう場合に、ルミノールを噴霧すると蛍光を発し、血痕の判別をすることがある。
今西の採集した布片を試験した。すると、暗室の闇の中で、布片はにわかい蛍光を放った。
「やはり、血痕でしたな」
吉田技師は今西に言った。
しかし、それは血液の痕だということだけで、人血か動物の血か、判別はつかないのである。それは第二の試験によらなければならない。
それを実験するには、生理食塩水を試験管に入れ、布片をその中に浸すのである。生理食塩水は無色透明だ。
吉田技師は今西の見ている前で、その通りのことをした。
「一昼夜おかないと、やっぱりわかりません。明日の晩あたりにこちらを覗いてみてください」
2025/04/18
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