一昼夜というと長い時間である。今西は待ち遠しかったが、こればかりは仕方がなかった。だが、ここまで来ると、彼にはもう、それが人血であるという確信がついた。
血痕のついた布片を浸した生理食塩水は、一昼夜経つと、化学作用で浸出した液ができるのである
この液体に還元した血痕を、抵人血色素という血清を使用して試験管の中に入れると、丸いような白い輪が出るのだ。これで、はっきりと人血と決定出来るのである。
今西が待ち焦がれていた一昼夜が過ぎた。彼は翌る日の晩、鑑識課に駆けつけるつように上がった。
「やっぱり、あれは人間の血ですね」
吉田技師は今西の顔に笑いかけながら、試験室に案内した。ならべて立ててある試験管の中の一本を取り上げると、今西に渡した。
今西が明るい光線に透かして見ると、試験管の中の液体に、ちょうど卵の白身にある目玉のような、白い、丸い半透明が見られた。これが人血の特徴である。
「なるほど」
今西は見つめて、思わずうれしそうな声を出した。
確信は持っていたが、やはり心配だったのである。
「さあ、これからいよいよ血液型ですな」
技師は言った。
「ぜひ、お願いします。早く知りたいものです」
「今西さんの努力を考えると、われわれも、何をおいても早く結果を出したいですよ」
この試験は、
①血痕であるかどうか。②血痕が出たら、それが人血であるかどうか。③人血なら、血液型はどうか。
の三段階となる。①の場合がルミーノールとベンジン試験であり、②の場合が人血反応である。今度は血液型を検出する最後の段階だ。
こては抗A、抗B、それぞれの血清を使って前に浸出した液をA、B、O式の凝集吸着試験を行なう。そのほかにM、N式とか、Q式などの血清を使った凝集吸着試験を行なう場合もある。
吉田技師は、入念にその実験を行なった。まず最初にA型を入れたが、これは凝集した。次にB型もAB型も同じ結果となった。なお、順次試験の結果、O型が見受けられた。
「今西さん」
と、吉田技師は言った。
「この布片についた血痕は、O型ですよ」
今西は、殺された三木謙一の血液型を手帳に控えている。
OMラージQ。── これが三木謙一の死体の血液から決定した血液型だった。
A、B、AB、Oの四つの型は、さらに別な鑑別法によって区分されるのである。
検出した布片の血液型が、さらに被害者のそれと同じようにOMラージQと出れば満点なのだが、吉田技師は、
「そこまでは検出出来ません。なにしろ、古い血だし、こういう布片についた少量ですから、細かいことはどうも」
と言って、不可能なことを説明した。
今西としては、しかし、その血がO型であることだけでも十分に満足だった。
炎天の下で、焼けた線路伝いに塩山駅から相模湖駅まで、約三十六キロをてくてくと一日がかりで歩いたかいがあったのである。
今西は、このことを係長や捜査一課長に報告した。上司からは激励された。
こうなると、今西の推定した通り、五月十九日の夜、列車の窓から布片を撒いた女こそ犯人の協力者であることは、いよいよ間違いないことになった。
今西はこおどりした。今度は、その女を突き止めなければならない。
その女を目撃した××新聞社の村山記者の話によると黒のスーツを着ていて、目の大きい、きれいな顔だったという。人相を聞くと、映画女優の岡田茉莉子に似た顔だというのだ。
今西は、十九日の夜の新宿駅の改札口にいた係員を調べてもらって、当人に会ったが、もとより混雑の新宿駅のことだし、古い話だから、記憶がないのは当然だった。
そこで、、彼は、その女性が甲府駅から乗って来たことを考えて、甲府駅の駅員にも聞いてもらうように甲府署に頼んだ。
しかし、この回答も、今西が予想したように絶望的であった。記憶がない、というのである。
せっかく、こもまでこぎつけておきながら当人を突き止め得ないのは、いかにもくやしい話である。が、今西は、線路伝いに小さな布片を探したように、必ず、自分の努力でその女を発見しようと決心した。 |