~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅴ』 ~ ~

 
== 『 砂 の 器 (上)』 ==
著 者:松本 清張
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
変 事 (一)
今西は宮田の顔を見つめたままうなずいた。
宮田の気持がわからないでもなかった。その表情を見ると、彼は確かに成瀬リエ子のことを、いろいろ知っているらしい。それも他人には秘密といってもいいようなことを彼はつかんでいると思う。
しかも、今西の観察では、宮田は成瀬リエ子に特別な感情を持っているようだった。彼が苦しむのはそのせいだと思われた。
ここで無理押しをすることはなかった。事実、これ以上¥、宮田を問い詰めても打ち明けそうになかた。かわいそうなくらい苦しんでいるのである。
しかし、宮田の表情は、確かに今西に何かを話したがっている。彼の言葉には微塵も嘘はないようだった。
「わかりました。宮田さん、それでは、いつ話していただけますか?」
今西はうなずき返して聞いた。
「もう二三日待って下さい」
宮田は苦しそうな呼吸をまだ続けていた。
「二三日ですか、もう少し早くなりませんか?」
「・・・・」
「いや、こういうことを申しては何ですが、われわれとしては、一日も早くその事情を聞きたいのです。さきほども言ったように、ある事件が未解決になっています。それが私の担当でしてね。そのためにも、ぜひ、あなたから早く成瀬さんのことを聞きたいのです」
「刑事さん」
と、宮田は言った。
「成瀬君のことが、その事件に関係があるのですか?」
「いや、それはまだわかりません。成瀬さんがそれに関係したということはないんですが、われわれとしては、そこに事件解決の一脈の希望を持っているわけです」
宮田邦郎は、今度は今西の顔を凝視した。こわいような目つきだった。
「わかりました、刑事さん」
と、彼は決断したように言った。
「あなたのお話を聞いているうちに、ぼくも協力したくなりました。ぼくには、あなたが、何をおっしゃるのかその意味がおぼろげにわかるような気がしますよ」
「え、あなたもそう思うんですか」
この時、今西は、間違いなく宮田が事件の鍵の一つを握っていると思った。
「思います」
と、宮田は言った。
「おそらく、ぼくの想像と刑事さんのお考えとは一致するでしょう・・・。わかりました。じゃ、明日お目にかかりましょう。明日、何もかも成瀬君のことについて話しますよ」
ありがたい、と刑事は心に叫んだ。
「明日、どこでお目にかかりましょうか?」
「そうですね」
宮田はしばらく考えていたが、
「明日の晩八時、銀座のS堂の喫茶室でお待ちします。それまで、ぼくも話を整理しておきますよ」
俳優宮田邦郎は、もの悲しそうな声で言った。
2025/04/24
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