家を出たのが八時半だった。
宮田邦郎の死体は、もう成城署に置いてないはずである。大塚の東京都監察医務院は、九時から仕事を始める。そっちへ駆けつけた方が早い。
大塚駅から歩いて十分ほどの監察医務院に着いたのはそれでも九時を少し過ぎていた。
医務院の前はきれいな庭になっているが、建物の中はうす暗い。待合室にはだれかの遺族らしい男が二人、不安そうにすわっていた。彼はまっすぐに医務課長の部屋に行った。
「やあ、しばらくですな」
医務課長は今西の挨拶を受けて顔を向けた。愛相がよく、いつも笑顔をみせてものを言う人だった。
「先生、さっそくですが、昨夜の成城署の変死は、もうこちらに仏さまが来ていますか?」
「ええ、昨夜遅く来たようですな」
「で、開くのはいつですか?」
「ここんところ、つかえているので、午後になるだろうと思いますよ」
「先生、何とかそれを早くやっていただきませんか?」
「ほほう。しかし、あれは病死でしょう。一応、念のため行政解剖するというだけだが、それに何か疑問が起こったのですか?」
「少し妙な心当たりがあります」
「すると、自然死ではなく、殺しの線が強いというわけですか?」
監察医は今西の捜査手腕を知っていた。
解剖は、今西の頼みを聞いて、一番にやってくれた。
用意ができる間に、今西は、西城署からまわってきた書類に目を通した。新聞記事とあまり違わない経過が書いてあった。彼は考えながら待っていた。
若い医員が来て、今西を促した。彼は狭い通路を通って、階段を降りた。
解剖室まで行くのに、途中で靴にカバーをはく。入るとすぐに待合室だった。そこからは、ガラス戸越しに解剖室が見える。もう、白い着物を着た医員が五六人集まっていた。
コンクリートの土間になっている中央に解剖台があった。一人の男が真っ裸になって仰向けに寝ている。蒼白い体だった。
宮田邦郎との、思いもよらない対面だった。長い髪が台の上にもつれ下がっている。瞳を開き、口を少しあけていた。苦しそうな顔つきだった。
この口だ。もう少し彼の死が遅かったら、何もかもこの口から聞けたのだった。おりもおり、
宮田邦郎は、なぜ、急死したのか。
今西は死体に合掌した。
医員たちは、死体を中心にそれぞれの位置についた。解剖医は、死体の外景の所見を述べはじめた。助手は鉛筆を動かして記録を取った。
その口述が終わると、医者は死体の胸から下にメスを入れた。中心線に沿って、Y字型に、皮膚を一気に裂いた。血が滲み出た。
それからの進行は、今西がこれまでたびたび立ち会って見て来た通である。
まず、腹腔臓器が調べられた。腸、胃、肝臓が仔細に点検された。それぞれがメスで切り放され、体内から取り出された。腸は長い紐になって水溜りの中で洗われながら泳いだ。
この間に、助手は太い鋏で肋骨を切りはじめていた。こういう順序が進行している間にも、解剖医は所見の口述をつづけている。肋骨は音を立てて切断され、押し上げられた。
窓が開いた。そこから肺と心臓部がのぞいた。医者は、心膜を別な鋏で切りはじめた。
監察医は、新造を取り出して、入念に調べはじめた。拳大ぐらいの心臓は灰赤褐色をしていた。それにメスが入れられた。
今西は身じろぎもせず見つづけていた。異臭が鼻をついたが慣れていた。別の助手は、胃を取り出して裂き、内容物の検査をしていた。一人の助手は、茶褐色の肝臓を刻んでいた。
|