長い時間だった。
最後に、頭部が切られ、頭蓋骨がふたをあけた。
宮田邦郎の長い髪の毛が、仰向いた顔の上にべろりと蔽いかかった。円形の中から、美しい薄桃色の球が薄紙に包まれてのぞかれていた。脳髄だった。
今西は、いつもこれを見るたびに、人間の脳髄の美しさに感嘆する。セロハンに包んだ高価な南陽座の果実を見るようだった。
今西は、監察医がなおも検査をつづけているとき、ようやく解剖室から出た。彼の額に汗が滲んでいた。
元の廊下に戻って、窓から外を見ると、青葉が風にそよいでいた。明るい日差しと、新鮮な空気だった。
今西は、生きている喜びを改めて知った。
窓から外を見ていた今西は、後ろから肩を叩かれた。
手術着を脱いだ解剖医だった。
「どうも、先生、ご苦労さまでした」
今西はおじぎをした。
「ありがとう。ちょっとこっちに来て下さい」
監察医は今西を一室に通した。周囲の壁がしみでよごれている。
「今西さん、せっかくですがね」
と、監察医は微笑しながら言った。
「あれは、心臓麻痺に間違いありませんよ」
「え、やっぱり、そうですか?」
今西は医者の顔を見つめた。
「ええ、あなたから申入れがあったので、われわれは特に入念に調べたのですがね」
監察医は笑った。
「どこにも外傷はないし、暴力を加えられた痕跡もありません。また胃袋を調べたのですが、毒物反応もないんです」
「ははあ」
「腹腔臓器にも異常はないのです。心臓部はやや肥大して、この人は、もしかすると軽い弁膜症にかかっていたのではないかと思える痕があります。すべての臓器を検査してみて、異常の部分を消してゆくと、結局、心臓麻痺だったということに落ちつくのです。実際、それを証明するように各臓器に鬱血が見られましたよ」
「それは、どういうことですか?」
「つまり、心臓が急に停止したので、血液の循環がそのまま止まって、そこに鬱血を起こしたわけですね。肺、肝臓、脾臓、腎臓などには、そのかなりな徴候がありました」
「すると、やっぱり、心臓麻痺の自然死ということですか?」
「私の検査する限りでは、まあ、そういうことになりますね。ほかに死因が見当らないのですよ。むろん、外力をもって攻撃を加えられたという個所は一つもありません」
「そうですか」
今西は考え込んだ。その様子がいかにもがっかりしたように映ったのであろう。医者は逆に聞いた。
「今西さんは、どういう点に不審を持ったんですか?」
そう聞かれると、今西にも、適当な返事が出来なかった。まさか、重大な証言を聞く前に、当人が急に死んだから死因がおかしい、とは言えなかった。ただ、一つの疑惑だけは言えた。
「本人は自宅で死んだのではなく、路傍で死体になっていたのを発見されたそうですね?」
「そうです。成城署からそういう連絡があったので、われわれは運搬車をもって、現場に駆けつけたんです。それが何か変なのですか?」
「いや、いま、ちょっと思いついただけです。当人が自宅で発病して死亡したのなら、あまり疑いを持たぬのですが、路傍で死んだことが引っかかるのです」
「いや、今西さん、そりゃあ、とこどき例のあることですよ。ことに急性心臓麻痺というやつは、所を選びませんからね」
言われてみると、今西にも抗弁する言葉がなかった。事実、宮田邦郎は、その病気で急死したことが、解剖という科学的な方法で証明されたのである。
俳優宮田邦郎の自然死は決定的だった。
「どうも、われわれは職業意識が出て、一応は疑ってみる癖が出て困ります」
今西は監察医に言った。
「それはもっともです。ぼくらだってここに運ばれて来る死体は、全部、他殺だと思ってみていますからね。だから、検査が自然と厳密になるわけです」
監察医にこの意見には、今西も同感した。
今西は医者に礼を述べて、医務院を出た
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