今西はそれから成城署に行った。ここで宮田邦郎の死体が発見された事情を聞いたのだが、それは新聞記事とあまり違いはなかった。
発見されたとき、宮田邦郎は道ばたにうつ伏せになったいたというのだ。付近は家数が少なかった。
死亡推定時刻は午後八時から九時の間で、これは監察医務院の解剖所見と一致している。
午後八時といえば、宮田邦郎が今西と約束してS堂に来る時間なのだ。それなのに彼は何の用事で世田谷あたりを歩いていたのであろうか。
今西は、今でも宮田が約束を違える意思がなかったと思っている。彼が世田谷を歩いていたのは、彼の意思ではない別な理由が、そこに彼を来させていたのではあるまいか。
彼の意思でない理由 ──。
たとえば、彼がだれかの家を訪問していて、時間が遅くなったということも考えられる。その訪問先とは、やはり世田谷近辺であろう。
今西はとにかく宮田邦郎が倒れていた現場に行ってみることにした。
成城署から現場までは、それほど遠くはなかった。彼はバスに乗って到着した。なるほど、あたりはまだ住宅の少ないぽつんと取り残されたような田園地域だった。成城署員の書いてくれた略図を頼りに、俳優が倒れていたという地点に立ったのだが、それはバスが通る国道から一メートルばかり畑に入り込んだ所だった。
向うの雑木林の下には、もう、ススキの穂が白く出ていた。
立っていると、自動車の数は多いが、歩いている人は少なかった。これだと、夜はきっと寂しい所に違いない。
宮田邦郎はタクシーにも乗らずに、ここを歩いていたのだろうか。いや、それは不自然である。ことに、今西との約束を考えていたおすれば、彼は当然タクシーに乗っていなければならなかったのだ 。
もっとも、別な考え方もある。
訪問先がしぎこの近所で、宮田がここでタクシーの空車を待ち合わせていた、という想定だ。これだと現場の不自然さが少し薄れる。
では、宮田はだれを訪ねて、この世田谷の奥に来たのだろうか。しかも、それは、今西との約束を破るくらいに大事だったのだろうか。
今西は、宮田が自分に会う前に誰かを訪ねて、自分に聞かせる話を、さらにその人によって確かめたのではないか、という気がした。
今西は前衛劇団を訪れた。
亡くなった宮田邦郎のことを聞きたいというと、事務所の人は今西を杉浦秋子のところに通した。
新聞や雑誌の写真で見ている杉浦秋子は、愛想よく西村を迎えた。この劇団の主宰者であり、大女優の彼女は煙草を吸いながら言ってくれた。
「宮田さんは、その日の六時半まで劇団で新作の舞台稽古をしていました。そのときは、別段、苦しそうな様子はありませんでしたよ。だから、死んだと聞いて、ほんとうとは思えなかったくらいです」
「日ごろ、心臓に病気を持っていたということはありませんか?」
「ええ、そういえば、あまり丈夫ではなかったようですね。初日前は徹夜で稽古をやることもありますが、そんなときに、疲れやすかったようです」
「六時半に稽古を終わって、それから、どこかに出掛けるというようなことは洩らしませんでしたか?」
「さあ、わたしはよく知りませんが」
ここで大女優はベルを押して若い俳優を呼んだ。それは宮田邦郎と親しい友人らしかった。
「この人ね、山形さんと言うんです」
と、彼女は紹介した。
「ね、あんた。宮田さんは昨夜ここを出る時、どこかに行くようなこと言っていなかった?」
若い俳優は手を前に組み合わせて直立していた。
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