スターウォーズのテーマで目が覚めた。携帯電話の呼び出し音だ。時計を見ると、昼を過ぎていた。
電話は姉からだった。
「今何してるの?」
「散歩だよ」
「寝てたんでしょう」
「昼から、就職活動をする予定なんだ」
姉はちょっと黙っていたが、すぐに「嘘つけ」と言った。
「いつまで仕事もしないでブラブラしてるのよ。健太郎みたいな男をニートって言うのよ」
「ニートって、何の略か知ってる?」
姉はその質問を無視した。
「もし、今何もしていないんだったら、いいアルバイトを紹介してあげる」
またその話かと思った。
たしかに二十六歳になっても、仕事もしないでぶらぶらしているのは自分でも情けないとは思う。司法試験と言えば聞こえはいいが、今年は試験も受けていなかった。大学四年生の時から四年連続で受けて不合格だった。最初の年が一番惜しかった。最難関と言われる論文式試験をパスしながら、口述試験で大ミスをしたのだ。あの時はゼミの教授を大いに失望させた。
翌年はまず大丈夫だろうと皆が思っていた。論文式をパスした者は翌年の筆記試験は免除されることになっていたからだ。ところが翌年も口述試験で躓いた。筆記試験を免除されることによる油断だった。それでミソがついたのか、翌年は論文式で落ち、更に翌年は短答式試験で落ちてしまった。この年は学生時代から付き合っていた恋人にふられて、精神的にも最悪の状態で受けた試験だった、
それ以降、自信もやる気も失せてしまい、毎日ぶらぶらと時間をつぶすようになってしまった。ゼミの中では一番に司法試験に受かるだろうと言われていたのに、同期の中でも落ちこぼれの部類に入ってしまった。たまに塾講師のアルバイトや、気が向けば肉体労働の仕事などもやったが、どれもこれも時間つぶしのためにやっているようなものだった。
真剣に勉強すれば合格する自信は今でもあったが、肝心のやる気が戻って来なかったのだ。何かのきっかけさえあれば、エンジンさえかかれば、という気持はあったのだが、そんなこともなく、一年以上の月日が流れていた。その間、法律の本はすっかりほこりをかぶっていた。
「アルバイトって、何?」
「私のアシスタント」
「遠慮させてもらうよ」
姉の慶子けいこはぼくより四歳年上で、フリーのライターをしている。といってもまだ駆け出しだ。情報誌を扱う出版社に四年ほど勤めてから、フリーになったのだ。もっとも仕事の大半が元の会社の雑誌のインタビュー記事だ。それでも一人で都内のマンションを借りているのだから、収入的には何とかやっていけているようだ。本人はいずれ一流のノンフィクションライターになると言っているが、まあ夢みたいな話だろう。しかし姉の野心は相当強かった。
「あのね、正確に言うと、仕事のアシスタントじゃないの。。実は祖父のことを調べたいのよ」
「おじいちゃんの何を調べるの?」
「おじいちゃんじゃないの。その ── おばあちゃんの最初の夫」
「ああ、なるほど」
祖母は最初の夫を戦争で失っていた。特攻隊で死んだと聞いている。結婚生活は短かったらしいが、その短い間に生まれた子供がぼくの母だ。祖母は戦後再婚したが、その相手が今の祖父だった。
それを知ったのは六年前に祖母が亡くなった時だ。四十九日が済んでしばらくして、ぼくいと姉は祖父に呼ばれ、そこで初めて実の祖父のことを聞かされたのだ。ぼくにとってはそのことよりも、本当の祖父と思っていた人が実は血の繋がらない人だと知ったことの方が衝撃的だった。
祖父は小さい時からぼくいと姉を実の孫として可愛がってくれた。またなさぬ仲の母とも非常に仲が良かった。祖母は祖父と結婚した後、二人の弟(僕の叔父たち)を生んだが、母と叔父たちとも仲は良かった。
実の祖父の存在を知っても、その人に対して特別な感情は抱かなかった。ぼくの生まれる三十年も前に死んだ人だし。、家には一枚の写真も残されていなかったから、シンパシーを感じろという方が無理だ。喩たとえは悪いが、突然、亡霊が現れたようなものだ。
祖父も祖母から前夫のことはほとんど知らされていなかったらしい。ただ一つわかっている事実は、神風で戦死した海軍航空兵ということだけだ。彼の関しては、母もまったく記憶がなかった。戦死したのは母が三歳のときだったが、そのずっと前から父親は戦地にいたという。
「どうして、その人のことを調べるの?」
ぼくはあえて「その人」と言った。ぼくにとって祖父は今のおじいちゃん一人だったし、今さら実の祖父に対して「おじいちゃん」という言葉を使うのには抵抗があった。
「お母さんがこの前ふと、死んだお父さんて、どんな人だったのかなって言ったのよ。私はお父さんのことを何も知らないって ──」
「うん」と言いながら、ぼくはベッドから体を起こした。
「それを聞いた時、なんとかしてあげたいと思ったの、お母さんの気持はわかるわ。だって実の父親なんだもん。もちろん、お母さんにとって、おじいちゃんは大切な人よ。おじいちゃんこそ本当のお父さんと思っているわ。でも、なって言うのかな、その感情とは別に、本当のお父さんがどんな人だったのか、知りたいのよ」
「今頃になって?」
「多分、年を取ったせいもあるんじゃないかな」
「おじいちゃんはその人のことを何も知らないの?」
「知らないみたい。おばあちゃんも前の夫のことはおじいちゃんにほとんど話さなかったらしいから」
「ふーん」
ぼくは祖父が好きだった。司法試験を目指したのも弁護士である祖父の影響だ。祖父は国鉄職員だったが、三十歳を過ぎてから司法試験に合格して弁護士になった努力の人だ。もっとも早稲田大学の法学部出身だったからそれなりの学力はあったのだろう。祖父は貧しい人たちのために走り回る弁護士だった。使い古された言葉で言うなら清貧の弁護士だ。ぼくはその姿を見て弁護士を目指したのだ。
祖父は、ぼくが何度も司法試験を落ちた末にぶらぶらしていても、まったく怒らなかった。それどころか、相談に行った母に向かって「あの子は、いずれしっかりやるさ。心配ない」と言った。この言葉は母と姉をがっかりさせたようだ。
「ところで、その ── 祖父の調査に、何でぼくが必要なの?」
「私は忙しいし、これにかかりっきりになれないし。それにこれは健太郎にも関係することだしね。でも、タダで使うつもりはないわ、報酬は払うわよ」
ぼくは苦笑したが、やってみてもいいかなと思った。どうせ暇な身だ。
「でも、どいやって調べるの?」
「やる気になってくれた?」
「いや、調べる手がかりは何かあるのかなと思って──」
「何の手がかりもないわ。親戚がいるのかどうかも一切わからない。でも、本名がわかっているから、当時どんな部隊にいたのかくらいはわかるでしょう」
「まさか同じ部隊にいた人を捜して、どんな人だったか聞けっていうんじゃないだろうね?」
「健太郎くん、頭いいね」
「やめてくれよ ──。第一、六十年も昔の話だよ。仮にその人のことを知っている人がいたとしても、覚えているとは思えないな。それに、もうほとんど死んでるよ」
「あなたの本当のおじいさんんのことよ」
「そうだけど ──。別に特に知りたいとは思わない」
「私は知りたい!」姉は強い口調で言った。「本当のおぞおさんがどんな人だったのか、とても興味があるわ。だってこれは自分のルーツなのよ。あなたのルーツでもあるのよ」
そう言われても別に心は動かなかったが、姉の言葉を否定する気はなかった。
「どうするの。やるの、やらないの?」
「わかった。やるよ」
ぼくにも祖父のことを知りたい気持ちはないわけではなかったが、姉の申し出を受けた本音は退屈しのぎに過ぎなかった。それにお金が入るのも有難かった。
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