翌日、姉と渋谷で会った。昼ご飯を一緒に食べながら、話をしようということになったのだ。もちろん姉の奢りだ。入ったところはチェーン店のイタリア料理店だった。
姉は相変わらず化粧もほとんどせず、着古したジーパンを穿いていた。
「実は私、今度大きな仕事をやらせてもらうかも知れないの。来年の終戦六十周年の新聞社のプロジェクトのスタッフに入れたのよ」
姉はちょっと誇らし気に言うと、大手新聞社の名前をあげた。
「へえ、すいごいね。チンケな雑誌から一挙にレベルアップだね」
「チンケな、なんて言わないでよ」姉は口をとがらせた。
ぼくは謝った。
「それでね、うまくいけば本も出してくれるか知れないの」
「本当なの? どんな本?」
「戦争体験者の証言を集めた本よ。まだ出るかどうかわからないんだけどね。多分、共同執筆になると思うけど、とにかくそんな話があるのよ」
姉は目を輝かせて言った。なるほど、そういういことかと合点がいった。姉は祖父の調査で予行演習を兼ねようとしているのだ。祖父のことを知りたいという思いも、母のために調べあげたいという気持も本心だろうが、それよりも今度の調査でライターとしての腕を上げたいという気持の方が強いのだろうと思った。これまで姉の口から死んだ祖父の話が出たことなど一度もなかったのだから。
正直に言うと、姉はジャーナリストには向いていないと思っていた。気は強いが、気を遣い過ぎる性格だから、おそらく取材対象者に嫌な質問や深く突っ込んだ質問は出来ないタイプだ。それに感情がすぐに表に出る性格もマイナスだろうと思っていた。こんなことはぼくに言われるまでもなく、姉自身も自覚していたはずだ。それだけに今度の終戦プロジェクトで、脱皮をはかって飛躍したいと思っているのだろう。
「ところで、祖父が特攻で死んだのは本当なの?」とぼくは聞いた。
「おじいちゃんはそう言っていたけど」
姉はパスタを巻きながら言った。それから他人ごとみたいに「身内にすごい人がいたのねえ」と言った。
ぼくもまた「本当だね」と他人事みたいに相槌を打った。
「でも、特攻隊ってテロリストらしいわよ」
「テロリスト?」
「これは仕事関係で会った新聞社の人の言葉だけど、神風特攻隊の人たちは今で言えば立派なテロリストだって。彼らのしたことはニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ人たちと同じということよ」
「特攻隊がテロリストというのは違うような気がするけど」
「そのへんは私もよくわからないけど、そういう見方もあるらしいわよ。その人に言わせると、時代と背景が全然違うから違ってみえるけど、構造は同じだって。いずれも熱狂的な愛国者で、殉教じゅんきょう的という共通項があるって言ってたわ」
大胆な意見だったが、姉の言葉には、なるほどと思わせるものがあった。」
「これを話してくれた人はすごく優秀な人で、前は政治部の記者をしていた人なの。この前、一緒にご飯食べてる時に、祖父が特攻隊員だったって言ったら、特攻隊員の遺書を集めた本を貸してくれたの。そこには報国だとか忠孝だとかの文字がずらりと並んでいたわ。驚いたことに特攻隊員たちは死ぬことを全然怖れていないの。むしろ散華する喜びすら感じている文章もあった。それを読んだ時、ああ、日本にもこんな狂信的な愛国者が大勢いた時代があったのかと思った」
「そうなのか ──。でも、ぼくのじいさんがテロリストだったなんて、ピンとこないな」
「イスラムの自爆テロリストの孫も六十年後にはそんなことを言ってるかもね」
姉はパスタを口に頬張ほおばりながら言った。それからごくごくと水を飲んだ。色気も何もなかった。弟のぼくが言うのも何だが、結構な美人なのに、およそ身だしなみや行動にかまうことろはなかった。
「祖父は遺書を残したの?」
「残さなかったらしいわね」
「だから、調べるんじゃない」
「で、ぼくは具体的に何をすればいいの?」
「おじいさんを知っている戦友たちを捜して欲しいの。私、今すごく忙しくて、なかなかそこまで手が回らないの。だから健太郎にリサーチ役をお願いしたのよ。前金を渡すから、頼むわね」
姉は早口でそう言うと、ハンドバッグから封筒を取り出してぼくに渡した。
「どうせ暇なんでしょう。調査は電話とファックスで何とか出来るでしょう。戦友さえ捜し当ててくれれば、その人たちに会ってのインタビューは私がするから」
ぼくはすこしうんざりすた気分で封筒を受け取った。
「ところで、祖父が生きていたら、何歳なの?」
「大正八年生まれよ。生きていたら、八十五歳ね」
「戦友に会うのは難しいかも知れないな。戦地に行った人たちは、あと数年でほとんど死に絶えることになるね」
「うーん」と姉は言った「少し遅すぎたのかな」 |