~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
亡 霊 (三)
引き受けるとは言ったものの、一週間以上何もしなかった。
しかし姉に何度も電話でせっつかれ、やっと重い腰を上げた。前金でお金を貰った以上、何もしないわけにはいかなかった。
祖父の軍歴は、厚生労働省に問い合わせてわかった。
宮部みやべ久蔵きゅうぞう、大正八年東京生まれ。昭和九年、海軍に入隊。昭和二十年、南西諸島沖で戦死」
一行で書けば、祖父の人生はそういうことだ。もちろん、その間を詳しく書こうと思えばいくらでも書ける。最初は海兵団に入り兵器員となり、次に操縦練習生となってパイロットといなり、昭和十二年に支那事変に参加、昭和十六年に空母に乗り真珠湾攻撃に参加、その後は南方の島々を転戦し、二十年に内地に戻り、終戦の数日前に神風特別攻撃隊員として戦死。
彼は十五歳から二十六歳までの十一年間、まさに人生で最高の時を軍隊に捧げ、後年の八年間はずっとパイロットとして戦い続けてきた。そのあげくに特攻で死に追いやられたので。しかも不運なのは、あと数日早く戦争が終われば助かっていたことだ。
「生まれた時代が悪かったんだなあ。久蔵さんよ」
と、ぼくは思わずつぶいた。
私生活では、昭和十六年に祖母と結婚している。母が生まれたのは十七年だ。結婚生活はわずかに四年、しかもその間はほとんど戦地にいたにおだ。内地に帰っても、実際どれぐらいの期間一緒に暮らせたのかはわからない。祖母がおじいちゃんに前の夫のことを語らなかったのも、隠していたのではなく、語るべきものが何もなかったのかも知れない。
軍隊の履歴を並べても祖父の人間性は何も出てこない。祖父がどんな人だったかを知るには、彼を覚えている人物に当たらないことにはどうにもならない。八十歳を超える当時の戦友たちもほとんど亡くなっているだろう。
ちょっと遅すぎたかな、と姉と同じ言葉を心の中で呟いた。しかし見方を変えれば、今が間に合う最後の時かも知れないと思った。

厚生労働省から旧海軍関係者の集まりである「水交会」の存在を教えてもらい、そこに問い合わせていくつかの戦友会を教えてもらった。
戦友会は海兵団の同期生のものもあれば、航空隊や航空母艦が一緒だった隊員の集まりもあった。ただ戦友会も海員の高齢化に伴い、この数年、多くの会が解散しているということだ。今まさに戦争経験者が歴史の舞台から消えようとしているのだった。
教えてもらった戦友会の中に祖父のことを知っている人たちがどれだけいるかだが、いたとしても六十年前のことなどどれだけ覚えていられるものだろう。ぼくが六十年後、現在の友人のことを聞かれて、はたしてどんな記憶をよみがえらせることが出来るだろうか。
しかしそんなことを考えていても何も始まらない。ぼくは戦友会に手当たり次第に手紙を書いて、祖父のことを知っている人物がいるかどうかを尋ねた。
二週間後、ある戦友会から返事が届いた。祖父と同じラバウルでパイロットだった人がいるという知らせだった。返事をくれたのは戦友会の幹事をしている人で、大変な達筆で書かれていた上に、知らない漢字まである。全部は読めず、その手紙を持って姉と会った。
姉は仕事で忙しいらしく、ようやく会えたのは、深夜のファミレスだった。
 文学部出身の姉も「達筆」の判読には苦労したようだった。
「六十年も世代が違うと字も読めなくなるんだなあ」
ぼくは手紙とにらめっこしている姉を見ながら、自分のことは棚に上げて言った。
「私たちは新字しか知らないし、正字を全然習ってないからね。中には元の字と似ていても似つかない字もあるわ。たとえばこの字 ──」
姉は手紙の一字を指した。「これ読める?」
読めなかった。
「私はたまたま知っているから読めた。これは連合艦隊よ」
「これが『連』か。全然違う字じゃないか。しんにゅうに耳偏だし、つくりも全然違う」
姉は笑った。
「それに、この手紙は草書で書かれているから、読むのに苦労したわ」
ぼくはため息をついた。「なんか全然違う人種を相手にしている気分だよ」
「同じ日本人よ。おじいちゃんが違う人種に見える? あ、これは今生きている方のおじいちゃんよ」
「ぼくだって、おじいちゃんを違う人種とは思わないと。でも、身内以外の八十過ぎの老人は、ぼくにとっては別人種に近いよ」
姉は手紙をテーブルに置くと、アイスコーヒーを飲みながら言った。
「向うもそう思ってるかもね」
そんな人たちを相手にしてゆ¥いくのかと思うと、少々気が重くなった。
2024/08/12
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