~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
臆 病 者 (三)
海軍に入って三年目、航空兵を募集していることを知った。わしは航空兵になることを夢見て、必死で勉強した。艦隊での勤務が終わって、わずかな自由時間に勉強した。
試験は合格した。たいそうな競争率だったと聞いている。我ながらたいしたものだと思う。
こうしてわしは操縦練習生となった。いわゆる海軍の伝統の操練だ。そう言えば、宮部の奴も操練出身だったな。奴はわしよりも何期か上だ。
霞ケ浦航空隊での訓練は厳しかった。しかしそれまでの艦隊勤務に比べたら、何ほどのものではなかった。それにわしは飛行機に惚れ込んだ。飛行訓練のすべてが好きになった。
小学校を卒業して以来、生まれて初めて生きる喜びを味わった。わしの生きる所はここだと思った。当時、飛行機乗りになるということは、命を捨てる覚悟が必要だった。飛行機乗りはいざ戦争となったら、常に敵地深く攻め込み、敵と正面から戦う。あるいは我が軍まで深く攻め込んで来る敵と戦う。そうでなくとも飛行機は常に死と隣り合わせだ。当時の飛行機は信頼性が高くない。故障は珍しくなかったし、事実、訓練中にも尊い犠牲は少なくなかった。しかしわしは怖いと思ったことはない。
わしらは平時の安全飛行の訓練をしているのではない。ぎりぎりの場での命のやりとりをする訓練をしているのだ。
自分のすべてを飛行機にかけけようと決めた。大袈裟ではなく全身全霊で訓練に打ち込んだ。
練習生の多くもわしと同じ気持だったと思う。皆訓練には必死で取り組んだ。文字通り死物狂いだった。なぜなら練習生が全員、操縦員になれるとは限らないからだ。適性を見て、操縦員に不適となれば、爆撃機や攻撃機の偵察員や通信員になる。操縦員になれなかった奴らは泣いた。
その操縦員も更に技量と適性を見て、戦闘機と爆撃機と攻撃機に分けられる。最も優秀な訓練生が戦闘機の搭乗員になる。わしは戦闘機乗に選ばれた。
2024/08/14
Next