まだあるぞ。宮部の臆病ぶりを示す話だ。
奴はいつも落下傘の点検を怠らなかった。わしは一度、そのことで皮肉を言ったことがある。
「宮部一飛曹、落下傘でどこに降りられるつもりですか」
奴はわしの皮肉に笑って答えた。
「落下傘は大切なものです。自分は列機にもきちんと落下傘をつけさせます」
不思議そうな顔をしているな。落下傘は必需品じゃないかと言うのだろう。それはとんでもない間違いだ。我々が戦っているのは広大な太平洋の上だ。それも戦場はたいてい敵地上空だ。落下傘で脱出しても、敵兵に殺されるのがオチだ。また敵地からの帰途、飛行機がだめになって脱出しても、海の上だ。溺れて死ぬか、
鱶
の
餌
えさ
になるのが関の山だ。
当時、我々戦闘機乗りたちは誰もまともな落下傘なんか持っていなかった。
尾籠
びろう
な話で申し訳ないが、わしらは落下傘の中に小便をしていた。搭乗員は飛行機の中に何時間もいる。途中で催しても、陸地と違い、道ばたで立ち小便というわけにもいかない。実は少年用の紙袋というものがあったのだが、飛行機を操縦しながら、自分の一物を引っ張り出して、そんな袋に器用に入れるというのは、おそろしく面倒臭い。小便中にもいつ敵機が襲って来るかわからない。むしろそんなものに気を取られている時が一番危ない。しかも済ませた後、今度はそれをうまく機外に放り出さないといけない。風防を少しだけ開けて、中身だけを捨てるのだが、
下手
へた
をすると、風を喰らってまともに小便を浴びることになる。小便をかぶったことのな戦闘機乗りはいないだろう。で、どうするかといえば、落下傘の中にしてしまうのだ。股の間に落下傘を挟んで、少しずつ染み込ませていくのだ。ラバウルの戦闘機乗りたちはほとんどみなそうしていたはずだ。だからdぽの落下傘もすさまじい臭いがした。中はいったいどうなっていたのか ── 想像してみる気もしなかったがな。
確かに戦争末期の本土防空での戦いでは、多くの搭乗員が落下傘をつけていた。これは落下傘脱出して降り立つところは日本の地だからだ。それに侵攻戦ではないから何時間も空の上にいるわけではない。小便で苦労することもないということだ。
しかし宮部はラバウルでも必ず落下傘を用意していた。それも万が一に備えて、定期的に広げて点検までする念の入れようだ。奴が落下傘を利用する機会があれば良かったのにと思う。
ある日、わしは落下傘を折り畳んでいる宮部に言った。
「そこまで丁寧に点検していれば、万に一つも開かないということはないでしょうね」
奴は皮肉に気がつかなかったのか、さらりと答えたよ。
「そんな機会がないように願いたいものです」
わしは返す言葉がなかったよ。
そうだ ── 落下傘のことで思い出したことがある。
奴は落下傘で降下中の米兵を撃ち殺したのだ。場所はガダルカナルだ。奴自身が空戦で墜としたグラマンから落下傘脱出した搭乗員を機銃で撃ち殺したのだ。有名な話だ。わしは直接は見ていない。しかしこの時一緒に居た連中から聞いた話だ。目撃者は何人もいた。
その話を聞いた時は
虫唾
むしず
が走った。海軍軍人の風上にも置けない奴と思った。
空戦は敵機を撃墜した時点で勝負はついている。米搭乗員は確かに敵だが、既に乗機を失って落下傘で逃げるだけの男を殺す必要があるのか。戦場にも武士の情けというものがあるだろう。やつのしたことは、戦場で武器をなくして戦えなくなって倒れている男を斬ったのと同じことだ。わしはその話を聞いて、宮部という男が心底嫌いになった。わしと同じように思っている奴は少なくなかったはずだ。
わしも空戦以外の機銃掃射をしたことはある。しかしいずれも高射砲台や戦艦相手の銃撃で、丸腰の人間を撃ったことは一度もない。それは卑怯者のすることだと思う。
わかるか、奴はそういう男なのだ。危険な戦場からはいつも逃げ回るくせに、無抵抗の人間を平気で殺す男なのだ。いや、そういう男だからこそ、そんな行為が出来るのかも知れんな。
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