~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
真 珠 湾 (四)
翌週、ぼくは四国の松山に行った。祖父を知っているという新たな人物に会うためだった。
最初は姉が一人で行くはずだったのに、直前になって「どうしても外せない仕事が入ってしまって、代わりに行って欲しいと頼んできたのだ。拒否したかったが、「フリーのライターは立場が弱いのよ」と泣きつかれると、断わり切れなかった。姉が嘘をついているとは思わなかったが、心のどこかに、長谷川に聞かされたような話をもう一度聞きたくないという気持もあったのだろう。
そんなわけで、一人で四国くんだりまで旅するはめになってしまった。自分の人の良さにあきれながらも、姉から貰った倍額の日当でプチ旅行を楽しもうと気持を切り替えた。インタビューは適当に切り上げて、ゆっくり道後温泉にでも入るつもりだった。
元海軍中尉、伊藤寛次かんじの自宅は市内の中心街に近い住宅地にあって、大きな家だった。
伊藤は小柄な老人だった。しかし背筋がぴんとしていて、動きに若さがあった。たしか八十五歳になるはずだが、七十代に見えた。
通されたのは大きな応接室だった。もらった名刺にはいろいろな肩書が書かれていた。地元の商工会のかまりの大物らしかった。
「会社をやっておられるのですか?」
「いや、もう息子に譲っています。今は悠々自適ですよ。それに大した会社じゃありません」
家政婦がアイスコーヒーを持ってきてくれた。
「もうすぐ八月ですな。八月が来ると戦争を思い出します」
伊藤はしみじみした口調で言った。
「宮部のお孫さんですね ──。あの人にこんなお孫さんがいたのですか」
彼はぼくの顔をまじまじと見た。
「戦争が終わって六十年も経って、宮部の孫が私を訪ねて来るとは思ってもいませんでした。これが人生でしょうか」
ぼくは長谷川の話を思い出して緊張した。それで早口に一気に言った。
「実はぼくは祖父のことは何も知らないのです。祖母は戦後、再婚して家族の誰にも祖父のことは語らずに亡くなりました。母にも祖父の思い出が何もないそうです。それで、今回、自分のルーツを知りたいというか、祖父はいったいどんな人だったのだろうかと思って、こうして祖父のことを知っている方をお訪ねして、お話を伺っています」
伊藤は黙ってぼくの話を聞いていた。
それから、古い記憶を呼び戻そうとでもするかのように小さく頭を振った。そして何から話そうかというように天井を見つめた。
ぼくが先に口を開いた。
「祖父は、臆病者のパイロットだったと聞きました」
伊藤は、うん? というふうにぼくを見た。
「臆病者ですか? ──宮部がですか」
伊藤は疑問符をつけて繰り返した。しかしその言葉は否定しなかった。彼はそして少し考えるように上に目を向けた。
「たしかに宮部は勇敢なパイロットではなかったと思います。しかし優秀なパイロットでした」
2024/08/22
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