~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
真 珠 湾 (九)
着いたところは択捉エトロフ島の単冠ヒトカップ湾です。十一月のオホーツク海は非常に寒かったのを覚えています。
冷たい霧の中で、連合艦隊の多くの艦艇がそろ っていました。それは壮観でした。
そして十一月二十六日、全空母から搭乗員が全員集められ、そこで飛行隊長から「宣戦布告と同時に真珠湾の米艦隊を攻撃する:と教えられました。
驚きましたが、同時に「来るべき時がいよいよ来たか」と思いました。体中にかつて感じたことのない緊張感がみなぎりました。他の搭乗員たちも同じ気持だったはずです。真珠湾攻撃をおくするような者は一人もいませんでした。憎っくき米国に一泡吹かせてやると皆、心中期するものがありましいた。
その後、編成搭乗割が発表されました。
攻撃隊の名簿の中に私の名前はありませんでした。目の前が真っ暗になりました。
私の任務は艦隊の直衛でした。敵の攻撃機から母艦を守るために艦隊上空を哨戒して護衛するのです。
私は真珠湾の攻撃隊に参加させてくれるように、泣きながら飛行隊長に訴えました。しかし、どうにも出来るはずがありません。わかっていても言わずにはおれなかったのです。私の他にも攻撃隊から漏れた搭乗員や予備に回された搭乗員たちが泣きながら上官に訴えていました。搭乗員割が発表された夜は、搭乗員同士の喧嘩沙汰もいくつもありまいた。その気持はわかります。みんな苦しい訓練を続けてきたのは、ひとえにこの日のためだったのですう。作戦が成功したら、たとえ死んでも悔いはありません。特に艦爆と艦攻の搭乗員で予備に回された者たちの落胆ぶいはすごいものがありました。
その夜、後部甲板で宮部に声をかけられました。「赤城」には飛行甲板の下、艦首と艦尾に甲板がありました。もともとは巡洋戦艦として作られるはずの艦を空母に改造した名残です。
「伊藤さん、艦隊直衛は大切な任務です」
宮部は第一次攻撃隊の制空隊に選ばれていました。
「俺の悔しさがわかるか」
「直衛は攻撃よりも大事な任務と思います。母艦を守ることは大勢の人の命を守ることですから」
「だったら、代われ」
「代われるものなら代わりたいです」
「それなら代われ!」
しかしそんなことは出来ないのは二人ともわかっていました。飛行隊長の決めた編成搭乗割りを搭乗員同士の意志で変えられる道理がありません。
私は甲板に座り込みました。また悔し涙がこぼれてきました。宮部は私の隣に座りました。
私はぼんやりと暗い海を見つめていました。凍えるような寒い夜でしたが、私は寒さなど感じませんでした。
宮部は何も言わずに、私の横に座っておいました。しばらくすると、だんだんと気持が落ち着いてきました。おそらくただ黙ってそばにいてくれた宮部のお陰です。
不意に宮部はぽつりと言いました。
「私が結婚していることは言いましたね」
私は頷きました。
「上海から戻って大村に行く前に、結婚したのです。新婚生活はたった一週間でした」
それは初耳だったので、私はちょっと驚きました。
「真珠湾攻撃に参加するとわかっていたら、結婚はしませんでした」
宮部はそう言って笑いました。
その話はそれで終わりましたが、この時の会話はなかなぜかよく覚えています。なぜあの時、宮部はそんな話をしたのでしょう。
── 恋愛結婚だったか、ですか。いや、それは聞いていません。ただ我々の時代には恋愛結婚などというものはめったにありませんでした。結婚は、周囲の人が勧めるままにするものでした。当時は戦地に行く前に急いで結婚するということもままありました。戦死するかも知れない前に、せめて結婚させてやりたいという親や親戚が考えるのでしょう。もちろん死ぬ前に跡取りを作っておきたいという気持もあったのかも知れません。
当時は結婚を大袈裟おおげさには受け取りませんでした。というより結婚はするものだと思っていました。何のためにと考えたことはありません。
今の若い人はそうは考えていないようですね。結婚は人生の最良のパートナーを見つける時にするものだと思っているとか。私の孫娘もそう考えているようで、もう三十代半ばになるのにいまだ独身です。いい相手が見つからなければ一生独身でもいいと思っているようです。困ったものですな。
宮部が慌ただしく結婚した理由は知りません。もしかしたら恋愛結婚だったのかも知れませんね。真珠湾攻撃に参加するのがわかっていたら結婚しなかったというのはどちらでも取れる言葉ですね。
搭乗割りが発表になった夜は、喧嘩騒ぎなどもありましたが、翌日になると、私も含めすべての搭乗員たちが何の遺恨もなく、自分に自分に与えられた役割をこなすために各自の最善を尽くしました・。私もまた空母直衛を全うすべく気持を引き締めました。
十二月八日、私は夜明けと共に発艦し、艦隊上空を哨戒しました
それから間もなく第一次攻撃隊が飛び立って行きました。私は編隊に敬礼して見送りました。
作戦中、母艦上空に敵機はついに現れず、私は一度も戦うことはありませんでした。
2024/08/24
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