ご存じのように、真珠湾の奇襲は完全に成功しました。
史上初の航空機だけによる艦隊攻撃は、二次にわたる攻撃によって、戦艦五隻沈没ないし着底、三隻大破。基地航空機二百機以上撃破という空前の戦果を挙げました。
真珠湾攻撃が大成功に終わった直後は、乗員も我々搭乗員も大変なお祭り騒ぎでした。
ただ一人、宮部は違いました。
「どうしたんだ、宮部、楽しそうじゃないな」
「今日、未帰還機が二十九機出たらしいです」
それは私も知っていました。
「残念なことだな。でもあれだけの戦果の割には、被害はほとんどないと言えるんじゃないか」
宮部は黙っていました。その顔を見た時、私は水を差されたような気持になりました」
「戦争なんだから必ず誰か死ぬ」と私は言いました。
「今日、眼の前で、艦攻が自爆するのを見ました」
と宮部は静かに言いました。
「雷撃してから、敵戦艦の上空を通過する時に、対空砲火で被爆したようです。艦攻は一旦、上空に上がりました。私はその機に近寄りました。翼から燃料が流れて白い筋を出しているのが見えましたが、幸いにして火は点いていませんでした。艦攻は帰艦する方向に機首を向けましたが、急に大きく旋回すると、再び真珠湾の方に引き返しました。私も旋回して横に並びました、すると操縦員が私に向かって眼下を指さしました。それから急降下して、敵の戦艦に体当たりしたのです」
宮部の話を聞いて、私は身震いしました。実際、本日の未帰還機の多くが自爆したと聞いていました。我々は、攻撃中に被弾して帰艦が困難と思われた時には自爆せよと命じられていました。生きて虜囚の辱めを受けずと教えられていましたから、そうするのが当然と思っていました」
「急降下の直前、三人の搭乗員は私に向かって笑顔で敬礼しました」
「真の軍人だな」
宮部も頷きました。
「一旦上空に逃れて、再び真珠湾に機首を戻すまで数分もなかったと思います。その間に彼らは飛行機の被害状況を見て、帰艦をあきらめたのでしょう。燃料が持たないお見たか、あるいは発動機がやられていたのかも知れません。いずれにしてもそのわずかな時間に、三人は自爆を決意したのです」
艦上攻撃機は操縦員、偵察員、通信員の三人が乗っています。海軍では同じ不幸機に乗る搭乗員をペアと呼んでいました。ペアは一心同体でなければなりません。ペアの呼吸が一つに揃わなければ、完全な雷撃は出来ないとも言われています。ペアの結びつきはなまじの友情などよりはるかに強いものがありました。刎頸の友という言葉がありますが、攻撃機や爆撃機のペアは文字通り刎頸の友です。
ぽそらく機長が自爆を決意し、他の二人に伝えたのでしょう。そしてその決断を聞いた二人は即座にそれに同意したのでしょう。
「彼らの笑顔はすがすがしいものでした。死にいく人間の顔とは思えませんでした」
「十分な戦果を挙げることが出来たからだろうな」
私の同意に、宮部は少し考えて「そうですね」と答えました。
「俺も死ぬ時は、十分な戦果を挙げて、満足して死にたいな」と私は言いました。
宮部はしばらく黙っていましたが、ぽつりと呟きました。「私は死にたくありません」
その言葉には驚きました。こんな言葉が帝国海軍の軍人の口から出るとは思ってもいませんでした。
もちろん軍人でも死にたくないという気持はあります。人なら当然のことです。
しかし軍人はそれではいけなあいのです。人は人間社会で生きていくのに多くの本能や欲望を制御して生活していくように、軍人は「生きたい」という欲望をいかに消し去ることが出来るかが大切だと思っています。そうでしょう。命が助かることを第一に考えていたら戦闘は成り立ちません。
今回の戦いは我が軍の大勝利でした。それでも二十九機の未帰艦機と五十五人の犠牲が出ました。今ならわかることがあります。その時に亡くなった搭乗員の身内にとっては大勝利の喜びよりも、家族が亡くなった悲しみの方がはるかに大きかったということが ──。何千人が玉砕した戦闘であっても、あるいはたった一人の戦死者を出した戦闘であっても、遺族にとってみれば、他にかけがえのない家族を失ったことは同じなのです。何千人の玉砕の場合、そうした悲劇の数が多いだけで、個々の悲劇はまったく同じなのです。
しかしその時はわかりませんでした。宮部の「死にたくない」という言葉に、ただ激しい嫌悪感を覚えました。帝国海軍軍人なら、まして戦闘機の搭乗員なら絶対に言ってはならない言葉です。我々は飛行機乗りになった時から「畳の上では死ねない」という覚悟が出来ていたはずなのです。
「なぜ、死にたくないのだ」
私の質問に、宮部は静かに答えました。
「私には妻がいます。妻のために死にたくないのです。自分にとって、命は何よりも大事です」
私は一瞬、言葉を失いました。その時の気持は、実に気色の悪いものでした。盗人ぬすっとに「なぜ盗んだのか」と問うて「欲しかったから」と答えられたような気持でした。
「誰って命は大事だ。それに、誰にも家族はいる。俺には妻はいないが ── 父も母もいるんだ」
それでも死にたくないとは言わん、という言葉はすんでのところで呑み込みました。
宮部は苦笑しながら「私は帝国海軍の恥さらしですね」と言いました。
私は「そうだな」と言いました。
宮部は黙ってうつむきました。
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