短い沈黙の後、伊藤が口を開いた。
「真珠湾では残念なことがありました」
「何でしょう」
「我々の攻撃が宣戦布告なしの『だまし討ち』になったことです」
「たいか宣戦布告が遅れたのでしたね」
「そうです。我々は、宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃すると聞かされてきました。しかしそうはならなかったのです。理由はワシントンの日本大使館職員が宣戦布告の暗合をタイプするのに手間取り、それをアメリカの国務長官に手交するのが遅れたからですが、その原因というのが、前日に大使館職員たちが送別会か何かのパーティーで夜遅くまで飲んで、そのために当日の出勤に遅れたかrただといいます」
「そうなのですか」
「一部の大使館職員のために我々が『だまし討ち』の汚名を着せられたのです。いや日本民族そのものが『卑怯きわまりない国民』というレッテルを貼られたのです。我々は宣戦布告と同時に真珠湾を攻撃すると聞かされたいました。それが、こんなことに ── これほど悔しいことはありません」
伊藤は顔を歪ゆがめた。
「当時、アメリカは日本に対して強い圧力をかけていましたが、国内世論は逆に戦争突入には反対だったといいます。我々が戦前聞かされていたのは、国家は歴史もなく、民族もバラバラで愛国心もなく、国民は個人主義で享楽的な生活を楽しんでいるというものでした。我々のように、国のため、あるいは天皇陛下のために命を捧げる心はまたくないのだ、と、山本長官は緒戦で太平洋の米艦隊を一気に叩き潰し、そんなアメリカの国民の意気を完全に阻喪せしめようとしたのです」
「まったく逆の結果に出たわけですね」
「その通りです。卑劣なだまし討ちにより。アメリカの世論は『リメンバー・パールハーバー』の掛け声と共に、一夜にして『日本撃つべし』と変わり、陸海軍にも志願兵が殺到したということです」
伊藤は続けた。
「更にいえば、戦術的にも大成功だったかと言えば、実はそうとも言えなかったのです。それは第三次攻撃隊を送らなかったことです。我が軍はたしかに米艦隊と航空隊を撃滅しましたが、ドックや石油備蓄施設、その他の重要な陸上施設を丸々無傷で残したのです。これらを完全に破壊しておれば、ハワイは基地としての機能を完全に失い、太平洋の覇権は完全に我が国のものとなっていたでしょう。飛行隊長たちは第三次攻撃を」具申」しました。そかしそれは受け入れられませんでした。司令長官南雲忠一中将は退却を選んだのです。今にして思えば、南雲長官は指揮官の器ではなかったと思いますな。その後、太平洋の至る所で、日本海軍は何度も決定的なチャンスを逃しますが、これらはすべて指揮官の決断力と勇気のなさから生じていると思います」
伊藤は大きなため息をついた。
「話が脱線しましたね。こんなところで海軍批判をしても仕方ないですね。宮部の話に戻りましょう」
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