真珠湾攻撃を終えて日本への帰途の中、私たちは搭乗員室でハワイ攻撃に参加した戦闘機隊のメンバーに真珠湾の様子を聞きました。多くの搭乗員が我が攻撃隊の素晴らしい攻撃ぶりを語っていました。私たち空母直衛隊は、その話をわくわくしながら、そして同時に嫉妬と羨望が入り交じった気持で聞いていました。
誰かがふと、宮部に「米国の艦船はどうだった」と質問しました。その時、宮部は「空母がいませんでした」と答えたのです・一同はきょとんとしていましたが、宮部はかまわず続けました。
「真珠湾にいたのは戦艦ばかりでした」
そんなことはみんな知っていました。空母の姿がなかったことは攻撃隊の搭乗員たちを大いに口惜しがらせていたからです。何を今更という気持でした。
宮部は私たちのそんな気持にかまわず続けました。
「我々が今日やったように、いずれ米国の」空母が我々を襲って来ます。そのためにも空母をやっつけておきたかったんです」
「そうだな、米国の空母とはいずれ戦うことになるな」
誰かが言いました。
「楽しみは先にとっておけという事じゃないか」
誰かの軽口に皆が笑いました。私も笑いました。
直衛組の一人が、俺たちの分んも残して貰わないとな、と言うと、別の誰かが「そういうことだあ。今度は母艦直衛じゃなくて、攻撃隊に参加したいよ」と言いました。
この日、母艦直衛隊の搭乗員たちは口々に、そうだそうだと言いました。全員が笑いました。
しかい宮部だけは笑いませんでした。
「いずれ、その日が来ますよ」と宮部は言いました。
「その日が来たら、米国の空母なんか、イチコロだよ。そうじゃないか」
誰かがそう言うと、宮部も初めてにっこり笑いました。
「そう思います。今日初めて艦爆と艦攻の攻撃を見ましたが、本当に見事なものでした。彼らの技量はまさに神技です。おそらく米空母でも、あの攻撃を受ければひとたまりもないでしょう。米国の攻撃機がどれほどの技術を持っているかは知りませんが、あれほどの技量はないでしょう」
勇ましいだけの男が勢いで言う台詞ではなく、宮部のような物静かな男が淡々と語るので、その言葉は迫力がありました。皆、彼の腕を知っているだけに余計言葉に重みを感じました。
私はその時、真珠湾での我が攻撃隊の必中攻撃を見ることが出来なかったことを心から残念に思いました。
「勝てるよな」
私の言葉に宮部は答えました。
「まともに戦えば、まず、我が方の圧勝と思います」
宮部の言葉はある意味で正しく、ある意味で間違っていました。
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