~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
真 珠 湾 (十七)
戦略的な見方はともかく、珊瑚海では、空母同士の戦い、つまり搭乗員同士の戦いでは勝利をおさめました。続くミッドウェーでは五航戦よりも更に強い一航戦と二航戦です。負けるはずはないと思うのは当然でしょう。
ミッドウェーでは五航戦は参加しませんでした。珊瑚海海戦で翔鶴が損傷し、大量に飛行機と搭乗員を損失したからです。しかしこれもおかしいと思います。少なくとも「瑞鶴」は無傷だったわけですし、飛行機の補充も何とかなったはずです。連合艦隊司令部の本音は、何も全部の空母を使うことはあるまいというののだったのでしょう。
ここらあたりが米軍とまったく違っていました。米軍は修理に一ヶ月はかかるという「ヨークタウン」を三日間の応急修理で間に合わせ、ミッドウェーの海戦に参加ささえていたのです。艦内にはまだ修理の工員が多数いたといいます。スプルーアンス提督はたとえ沈められてもミッドウェーに参加させると言ったと言います。我々はアメリカ人というものは陽気なだけの根性のない奴らと思っていましたが、そうではなかったのです。彼らはガッツというものを持っていました。
話を六月五日のミッドウェーに戻しましょう。
あれは私がミッドウェー島の第一次攻撃から戻り、艦内の待機所で休んでいる時でした。突然、甲板上に待機していた攻撃機の魚雷を陸上用爆弾にする換装が始まったのです。どうやら、ミッドウェー島の二次攻撃をやることに急遽きゆうきょ決まったようです。
それまでは敵機動部隊に備えて、攻撃機は艦船攻撃用に電装されていたのですが、索敵状況から敵機動部隊は周辺にはいないとみて再び陸上基地攻撃に作戦が変更になったのでしょう。今にして思えば、これが第一の油断です。
ひと口に魚雷を爆弾に付け替えると言っても、靴を履き替えるようなわけにはいきません。リフトで一機ずつ格納庫に降ろして、そこで魚雷を外し、爆弾につけ替え、再びリフトで飛行甲板まで上げるという作業の繰り返しです。しかも、ものは爆弾と魚雷ですから、おろそかには扱えません。飛行機は数十機もあります。雷装から爆裳へのすべての換装が終わるのにぽよそ二時間ぐらいかかったでしょうか。その間、ミッドウェー基地から何機か敵の攻撃機がやって来ましたが、上空直衛の零戦隊が苦もなく追い払いました。
ようやく換装が終わった頃に、索敵機から、何と敵機動部隊らしきものを発見したという情報が伝わって来ました。我々は「いよいよ米空母が来たか!」と思いました。ところが飛行甲板上の攻撃機には陸上攻撃用の爆弾がつけられています。何と間の悪いことでしょう。
南雲司令官は、再び陸上用爆弾から魚雷への再換装を命じました。この処置は正しい処置と思えました。なぜなら陸上用爆弾では敵空母に損傷を与えても沈めることは出来ないからです。今回のミドウェー作戦の一番の目的は米機動部隊すなわち米空母艦隊をおびき寄せ、一気に殲滅することです。米空母をすべて沈めれば、太平洋に敵はいないも同然です。そのためにも一撃で米空母を葬り去る雷撃 ── つまり魚雷による攻撃が絶対に必要です。
全空母が一斉に爆弾から魚雷への転換を始めました。今し方終えたばかりの作業をもう一度繰り返すわけです。
私はやきもきしながら、その作業を見ていました。何しろ、敵機動部隊がわずか二百浬先にいるのですから、とにかく一刻も早く攻撃したい一心でした。先程の換装がなければ、とっくに攻撃隊を発進出来たのにと思うと、何とも情けない気持がしました。
宮部がいつの間にか私の横にいました。
「いったい何をのんびりやってるんだ。すぐに攻撃しないと」
宮部は常にない苛立った口調で言いました。
「陸上用爆弾では、空母は沈まないよ」
「沈まなくったっていい。とにかく先手をとらないと」
「でも、どうせやるなら、沈めたいじゃないか。損傷だけ与えて、一目散に逃られたりしたら、元も子もない」
「それでもやらないよりはましです」
「今回の作戦の目的は敵空母の殲滅だぜ、逃げられたら意味ないじゃないか」
「それなら、なぜ最初の雷装から爆装に変更したのです。一番の目的が空母なら、雷装のまま敵空母発見の報を待っているべきです」
私は言葉に詰まりました。言われてみればその通りです。たしかに今回のミッドウェー作戦は二方面作戦でした。実はこれは兵法としてはもっとも慎むべき戦法だったのです。
「こうしている間にも敵が来るかも知れません」
宮部は独り言のように呟きました。私は愚かにも初めてそのことに気がつきました。私は勝手に、我が方が一方的に敵機動部隊を発見しているとばかり思っていたのです。
その時、上空哨戒機を更に増やそうということで、我々機動部隊に命令が届きました。飛行隊長は宮部と何人かに上空直衛を命じました。
宮部は私に軽く手を振ると、「言って来るよ」と言い、甲板上の零戦の方に走っていきました。宮部と会話をしたのはそれが最後です。
宮部たちが飛び立ってからも、魚雷換装は遅々として進みませんでした。こうしている間にも、敵機動部隊にいつ発見されるかわかりません。敵がいることがわかていながら、攻撃に行けないもどかしさというものを初めて感じました。私は攻撃隊に入っていませんでしたかが、それでもじりじりした気分でいたのですから、攻撃隊の連中は本当に焦りに似た気持だったでしょう。
突然、「敵機!」という声が轟きました。見ると、左舷前方に十数機の編隊が低く飛んで来るのが見えました。距離はまだ七千メートル以上ありました。もうその時には、上空直衛機が敵機に向っていました。敵は雷撃隊です。雷撃機とは魚雷を抱いた飛行機です。一発でも魚雷を受けたら、致命傷になります。
全身に緊張と恐怖が走りました。「頼むぞ。直衛機」と心の中で祈りました。
零戦は雷撃機の群に、猟犬のように襲いかかりました。瞬く間に雷撃機は火を噴いて堕ちていきました。わずか数分で敵雷撃機は全機撃墜されました。実に鮮やかなものでした。あまりの素晴らしさに、思わず甲板の整備員からも拍手が起こったほどです。
その時「右舷!」という声が聞こえました。振り返ると、右舷方向から八機の雷撃機が接近するのが見えました。しかしすでに後方に零戦が三機ついています。雷撃機は射程に入る前に次々と墜とされました。最後に残った二機は魚雷を捨て上空に逃れようとしましたが、しかしこれも零戦に撃墜されました。
零戦隊の見事な手腕に、甲板に待機していた攻撃隊の搭乗員たちは感嘆の声を上げました。
後方では「加賀」を襲った雷撃機の同じように直衛機にばたばたと墜とされていました。
私はあらためて零戦の威力を見ました。いや零戦の操縦桿を握った男たちのすごさを見ました。まさに彼らは一騎当千の強者でした。
戦いは断続的に二時間近く続いたでしょうか。敵雷撃機は全部で四十機以上来襲し、ほぼ全機が零戦に撃ち墜とされました。魚雷は一発も当たりませんでした。
2024/09/01
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