~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
真 珠 湾 (二十)
日本側はこの戦いでなけなしの空母を四隻沈められました。米空母は一隻だけでした。その一隻は珊瑚海海戦で大破した「ヨークタウン」ですニミッツ大将が応急措置を命じて満身創痍そういのままミッドウェーに参加させた空母です。そして日本の空母群に強烈な一撃を与えて、沈んでいったのです。これがヤンキー魂というやつでしょうか。
それに比べて、同じ珊瑚海で戦い、無傷だったにもかかわらず、瀬戸内海でのんびり休養していた「瑞鶴」── ミッドウェーの戦いは、既に戦う前から負けていたのです。
ただ一つ、我が方にも褒めてやりたいものがあります。それは四隻の中でたった一隻、敵の攻撃から逃れた「飛龍ひりゅう」の奮戦です。「飛龍」は三隻の空母がやられた後、二航戦の司令官、猛将山口多門たもん少将に率いられ、文字通り孤軍奮闘で敵の三隻の空母と渡り合い、ついに「ヨークタウン」と差し違えて沈んでいったのです。山口少将も「飛龍」と運命を共にしました。ちなみに山口少将は南雲長官の雷装変換に強く反対し、ただちに攻撃隊を発進させることを強く具申した人でした。
また「飛龍」の攻撃隊の飛行隊長である友永丈市大尉は、燃料タンクを撃ち抜かれた九七式艦上攻撃機で、片道の燃料しか積めないのにもかわらず、敢然と出撃したということです。
これがスポーツなら「ヨークタウン」と「飛龍」の乗員たちは戦いを終えた後に、互いの健闘をたたえ、友情さえも生まれたかも知れません。しかしこれは戦争です。互に殺し合い、そして両艦とも多くの人が死にました。
一説には、ミッドウェーで多くの熟練搭乗員を失ったことが、日本海軍にとって一番の痛手だったと言われていますが、それは正しくありません。最後まで戦った「飛龍」の搭乗員はほとんどが亡くなりましたが、先に沈んだ三隻の母艦搭乗員の多くは救助されました。
熟練搭乗員が大量に失われたのはその年の秋から始まったガダルカナルの戦いにおいてです。
── 宮部ですか? おそらく燃料が切れるまで上空で戦い続けて海上に不時着したのでしょう。もしかしたら、「飛龍」に着艦した後、「ヨークタウン」の攻撃に参加したのかも知れません。
いずれにしても彼も生きながらえて内地に戻っています。ただ、私はその後一度も会っていません。「赤城」から飛び立っていったのが彼を見た最後の姿です。宮部は、ミッドウェーの後、多くの搭乗員たちと一緒にラバウルに配属なったとも聞いています。
私は爆弾の爆風を受けた時に目をやられていて、両目とも〇・二まで視力が落ち、戦闘機には乗れなくなりました。
内地に戻ってからは予科練の教員をやりました。もし眼をやられていなければ、その後も各地を転戦して、生き残ることは出来なかったかも知れません。実際、ラバウルに配属になった多くの母艦搭乗員はソロモンの海に散っていきました。
ソロモンの海こそが搭乗員たちの墓場になったのです。十七年の後半からは「ラバウル転属の辞令」は片道切符と言われたのです。
2024/09/03
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