~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ラ バ ウ ル (一)
「驚いた」
姉は電話の第一声でそう言った。
姉から電話がかかって来たのは、伊藤の話を録音したボイスrテコーダーを送った翌日のことだった。
「一気に聞いた」
姉の声はちょっと興奮気味だった。姉は祖父が確かな腕を持ったパイロットだったことを喜んでいたが、それよりも、祖父が祖母を愛していたということの方に感動していたようだった。
姉は手短に感想を伝えると、今夜会えないかと聞いてきた。仕事先の新聞社の人と一緒に食事をしないかというものだった。
「私たちの調査を聞いて関心を持ってくれてるの。それで、一度食事でもどうかって」
ぼくの方には特に予定はないから、了承した。
待ち合わせ場所の赤坂のホテルに着くと、姉しかいなかった。新聞社の人は急な仕事が入って少し遅れるということだった。
ぼくと姉は先にレストランに入って、食事をしながら待つことにした。
「おばあちゃんは最初の夫に愛されていたのね」
注文を終えた後、姉はしみじみと言った。
「おばあちゃんはどうだったのかな?」
ぼくの質問に姉は少し考える顔をした。
「おばあちゃんはおじいちゃんが大好きだったからね。おじいちゃんの前に愛する人がいたなんて想像も出来なかったわ」
ぼくはうなずいた。
「でも、人の心の中はわからない。もしかしたら、おばあちゃんも宮部さんのことを愛していたのかも知れないね」
姉は祖父のことを宮部さんと呼んだ。
「でもたった四年の結婚生活で、しかも一緒に暮らした時間がほとんどなかったから、戦死したとしても、忘れるのも難しくなかったんじゃないかな」
ぼくの言葉を、姉は肯定も否定もしなかった。
少ししてスーツを着た背の高い男がやって来た。それが新聞記者、高山隆司たかやまりゅうじだった。彼は遅れたお詫びを言い、それから急な仕事が入ったためあまり長くいられない旨を告げた。
高山は柔和な顔立ちをしていた。三十八歳と聞いていたが、もっと若くい見えた。
「あなたが健太郎ですね、お姉さんには仕事でお世話になっています」
高山はウェイターに注文をすませると、人なつっこい笑顔を浮かべて言った。姉から大変なやり手と聞いていたから、もっと自信に満ちた押し出しのきくタイプかと思っていたら、そうではなくむしろ、ソフトで優しそうな雰囲気を持った男だった。
彼は、来年は戦後六十年の節目の年にあたり、新聞社として戦後を振り返る特集をいくつも企画していると言った。だから、特攻で亡くなった祖父のことを調べている姉の話を知り、その調査に興味を持ったのだと言った。
「戦争の特集の中でも、カミカゼアタックは是非総括しなければならないテーマだと思っています。カミカゼアタックの人たちは本当に気の毒な人たちです」
高山はそう言って、一瞬黙祷もくとうするように目をつむりテーブルの上で両手を組んだ。
「しかし、カミカゼは決して過去の問題ではありません。これは非常に悲しいことですが、9・11のテロを見てもわかるように、今、かつてのカミカゼアタックと同じ自爆テロが世界を覆っています。どうしてこんなことが起こるのでしょう」
高山はかすかなため息をついた。そして少し身を乗り出して言った。
「私は、それを知るためには、日本のカミカゼアタックを今一度違う視点で洗い直す必要があると思っているんです」
「高山さんは自爆テロのテロリストと日本の神風特攻隊は同じ構造だとおっしゃってるんですか」
ぼくの質問に高山が頷いた。
「世界史的に見ても、組織だった自爆攻撃は非常に稀有なもので、かつてのカミカゼアタックと現在のイスラム原理主義による自爆テロの二つがその代表です。この両者に何らかの共通項があると考えるのは自然な考え方だと思います。現に、アメリカの新聞では昨今の自爆テロのことをカミカゼアタックと呼んでいます」
高山はぼくに答えるというよりも、姉の顔を見ながら言った。
姉が前に「ある人の受け売りなんだけどね」と断わって語っていた特攻隊に対する意見は、やはり彼のものだということがわかった。もっとも「特攻=テロ」と主張している評論家が少なくないということは、ぼくも祖父の調査を始めてからネットなどで見て知っていた。珍しい意見ではないようだ。テレビの有名な報道キャスターの何人かもそう発言していたらしかった。残念ながら、特攻隊についての知識がまったくないぼくには肯定も否定も出来ない問題だった。
2024/09/04
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