~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ラ バ ウ ル (八)
不思議なもので二度目の空戦の時は、はっきりと敵機が見えました。初陣で上がっていたのでしょうね。新人は最初の空戦で墜とされなければその後もかなり生き残れる、というのはそういうことなのだと思います。二度目の空戦もポートモレスピー上空でした。
邀撃ようげきに上がって来た敵戦闘機と空戦になりましたが、この時私の目にも敵機の編隊がみえました。しかし出撃前、小野小隊長から「絶対に編隊を離れるな」ときつく言われていたので、ひたすら小隊長機についていきました。
たちまち乱戦になりました。機銃の曳痕弾えいこうだんが飛び交い、飛行機が堕ちていくのが見終えました。しかし私にはそれが味方機なのか敵機なのかさえわかりおません。とにかく小隊長についていくのに必死だったのです。曳痕弾というのは燃えながら飛んでいく弾で、機銃弾四発の中に一発入っています。光りながら飛んでいくので、弾道が確認出来、搭乗員はそれを見ながら照準を修正していくのです。敵機の機銃にも曳痕弾はあり、撃たれた場合は曳痕弾がこちらに向って飛んで来るのが見えます。
小隊長と二番機が一機の敵機を撃墜するのが見えました。小隊長は更にもう一機撃墜しました。目の前で見る見事な撃墜に、私も闘志が湧きました。私も敵機を墜としたいと思いました。味方の一方的な戦いで、私にも余裕が出来たのでしょう。
見渡すと、右下千五百メートルくらいに敵機を見つけました。敵は私に気がついていません。私は小隊長機から離れると、敵機を追いました。敵機はまだ気がついていません。撃墜出来る ── と私は思いました。
緊張と喜びで全身が固くなりました。そこで私はミスをしてしまったのです。敵機を照準器で捉える前に、機銃を撃ってしまったのです。敵はすぐに気がつき、反転して来ました。
それを見て、私も慌てました。無茶苦茶にひたすら銃撃しながら敵機に向かって行きました。それで急に敵が慌てて旋回しました。そこに私の機銃弾がまともに当たり、敵機は火を噴いて堕ちていきました。
初めての撃墜に震えがきました。敵が錐揉きりもみしながら海上に落ちていくのを確認しました。やったぞ、と私は心の中で叫びました。その瞬間、慌てて周囲を見回しました。飛行機はまやyく見えません。夢中になって、空戦域を遠く離れてしまったようです。機体を斜めに倒して、後ろを振り返ると、何と二機の戦闘機に追尾されていました。背筋が凍るとはこのことです。
私は慌てて急降下で逃れようとしました。しかし私の機の横を日の丸をつけた零戦がぴたりとつけました。小野小隊長機です。敵だと思ったのは味方機だったのです。その後ろには林三飛曹の機がありました。
実は二人は私が編隊を離れて敵機を追ったのを見て、援護についてくれたのです。私に初撃墜をさせてやろう、しかし危なくなればいつでも助けてやろうと、ずっと見守っていてくれたのです。このことは基地に着いてから知らされました。
私の初撃墜は隊の笑い話になりました。なにしろ五百メートル以上離れた距離から機銃を撃ったらしいのです。そんな距離から撃って当たるわけがありまえん。敵機に自機の存在を知らせるだけでした。しかし敵も反転という大きなミスを犯していたのです。高度差があるのに、下方から反転しての向首対戦は自殺行為でした。敵機はすぐにそれに気がついて旋回しようとしましたが、それは最悪の選択で、私の機銃弾がもろに命中したというわけです。先輩たちに言わせれば「初心者同士の喧嘩」だったようです。
私はこの一機のために機銃を全弾撃ちつくしてしまいましたが、これも先輩たちの笑い話になりました。
一機墜とすのに、全弾使い切るようじゃ、弾が何発あっても足りんなあ」
小野一飛曹は笑いました。
小野一飛曹も林三飛曹も優しい上官でした。二人とも日中戦争から戦っている歴戦の搭乗員ですが、二人ともこの年のガダルカナルの戦いで戦死しました。
ラエでは本当に鍛えられました。飛行訓練では学ぶことの出来ない貴重な経験を数多く学びました。戦闘機乗りにとって、空戦の経験こそが最大の勉強です。ただし学校での勉強と違うところは、学び損なうと死ぬことです。学校の試験では失敗しても落第するだけですが、空戦の場では、落第は即、死を意味します。
それだけに私たちも必死でした。ラバウルに多くのエースが誕生したのはある意味当然です。彼らは死のふるいにかけられて、生き残った人たちだからです。有名な坂井三郎さん、西澤廣義さん、笹井醇一中尉はここで鍛えられて撃墜王になった人たちです。
笹井中尉は海軍兵学校出身の搭乗員です。撃墜王で海兵出の士官rというのは非常に珍しい。実は海軍の撃墜王のほとんどは兵隊からの叩き上げで、予科練や操練出身の下士官搭乗員です。海兵出の士官が操縦技術や空戦技術で下士官にかなうわけがありません。しかし中隊以上の編隊を組む分隊長の指揮官には必ず海軍兵学校出身の士官がつきます。実際には士官などよりも経験の豊富な下士官の搭乗員の方が腕も判断力もあります。にもかかわらず、帝国海軍では、いくら腕があっても下士官は絶対に中隊以上の分隊長にはなれません。
分隊長の判断の過ちで、まずい戦いになったことは枚挙にいとまがありません。宮崎儀太郎飛曹長や坂井一飛曹が分隊長だったら、と思う場面は何度もありました。
空の上では、階級は何の意味も持ちません。経験と能力、それだけがものを言う世界です。中でも経験というものは何にも代え難い大きな武器でした。当時のラバウルの猛者たちはおぼただしい実戦でその貴重な経験を手にしていました。それは本当に「命を賭して」手にしたものです。しかし海兵出の士官たちは経験もないくせにプライドだけは高く、我々下士官や兵からは学ぼうとはしませんでした。ところが笹井中尉は違いました。彼は積極的に坂井一飛曹などの下士官と親しく交わり、部下に教えを請うことを気にしない人でした。坂井一飛曹もまた笹井中尉には階級を越えた友情のようなものを感じていたようです。坂井一飛曹の薫陶よろしく笹井中尉はみるみる腕を上げて行きました。
2024/09/09
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