ところで、海軍航空隊における兵や下士官に対する冷遇はひどいものがありました。士官は宿舎も従兵付き個室で至れり尽くせりですが、下士官以下は大部屋で雑魚寝です。それも宿舎は遠く離れていて、両者は、ほとんど交流がありません。食事も天と地ほどの開きがありました。同じ空の上で戦う搭乗員なのに、まるで違う境遇に置かれていたのです。
もっとも食事に関してだけは航空兵は恵まれていました。整備員や兵器員は更にひどい食事でした。要するに軍隊というところは、徹底した身分階級がある世界ということです。私は後に空母に乗りましたが、そこでは士官専用のガンルームという優雅な部屋もありました。
品のない話ですが、ラバウルには慰安所がありましたが、慰安所も士官と下士官以下のものでは違っていました。下士官や兵たちが相手にした慰安婦を士官が相手に出来るか、ということだったのでしょうか。
ちなみに坂井三郎さんでも少尉になるのに十年以上かかっています。ところが兵学校を卒業した者はすぐに少尉になります。今の官僚のキャリアとノンキャリアみたいなものですね。しかも兵隊上がりの少尉は特務士官と呼ばれ、兵学校出の士官より一段下に見られました。それが海軍というところです
私の最終階級は飛曹長ですが、これは終戦で一階級上がったに過ぎません。ポッタム兵曹長ですよ。
話を戻しましょう。
太平洋戦争初期の零戦の力は圧倒的でした。
格闘戦になれば絶対に負けないと言っても過言ではありません。敵のパイロットは勇敢で、零戦に対して真っ向から向って来ましたが、それは自殺行為に等しいものでした。零戦の空戦能力は抜群で、たいていの敵機は巴戦に入って、三度旋回するまでに撃ち墜とされました。巴戦というのは、互に相手の後方につこうとぐるぐる回りながら戦うことです。向うでは「ドッグファイト」と言うらしいですね。
この頃撃墜した敵戦闘機の書類にびっくりするようなことが書かれていたと聞いたことがあります。そこには飛行中に任務遂行をやめて退避してもよい場合として、「一、雷雨に遭遇した時。一、ゼロに遭遇した時」と記されていたそうです。
私は戦後、何人もの連合軍パイロットと会っていますが、その中にポートモレスビーで戦っとというチャーリー・バーンズという豪州パイロットがいます。陽気な男で百九十センチもある巨漢でした。彼は言いました。
「ゼロファイターは本当に恐ろしかった。信じられないほど素早く、その動きはこちらが予測出来ないものだった。まさに鬼火のようだった。俺たちは戦うたびに劣等感を抱くようになったんだ。そして、ゼロとは空戦をしてはならないという命令が下ったんだよ」
「その命令書の噂は聞いたことがある」
「俺たちは日本の新型専用機が『ゼロ』というコードネームが付けられてるのを知った。何と気味悪いネーミングだと思ったよ。『ゼロ』なんて何もないという意味じゃないか。しかもその戦闘機は信じられないムーブで俺たちをマジックにかける。これが東洋の神秘かと思ったよ」
私は、自分たちも必死だったのだと言いました。死ぬほどの訓練をしてきたのだ、と。
「俺たちはゼロに乗っている奴は人間ではないと思っていた。悪魔か、さもなければ戦うマシーンだと思っていた」
私は、自分は人間だよと言いました。今は食べるために戦っている。運送会社を経営していてw、ゼロではなくトラックに乗っていると言うと、彼は大笑いしました。
「俺は今、自分の牧場で馬に乗っている」
チャリーはオーストラリアの牧場主の息子でした。
彼とはその後、手紙のやりとりが続きましたが、五年前、家族から病気で亡くなったという知らせが届きました。
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