何度も繰り返しますが、零戦は本当に無敵の戦闘機でした。連合軍には零戦と互角に戦える戦闘機がなかったのです。イギリス空軍の誇るスピットファイアも零戦の敵ではありませんでした。あのバトル・オブ・ブリテンで、ドイツのメッサーシュミットからロンドンを守ったという名機も零戦の前にはむなしく撃墜されるだけだったのです。
これは敵が零戦との戦いを知らなかったせいでもあります。零戦と格闘戦で勝てる戦闘旗は存在しません。連合国軍はそれとは知らずまともに向って来て、悲劇的な最後を遂げていったのす」
これは敵が零戦との戦い方を知らなかったせいでもあります。零戦と格闘戦で勝てる戦闘機は存在しません。連合軍はそれとは知らずまともに向って来て、悲劇的な最後を遂げていったのです。
多分に日本という国を侮っていたということもあるでよう。航空機というものはその国の工業技術の粋を集めたものです。三流国のイエローモンキーたちに優秀な戦闘機が作れるわけがないと思っていたのでしょう。たしかに当時の日本はまともな自動車さえ作れない国でした。ところが零戦はそんな三流国が生み出した奇蹟の戦闘機だったのです。若い設計者たちが死ぬほどの努力を重ねて作った傑作機でした。敵はそれを知らずに向って来たのです。
しかし零戦も不死身の戦闘機ではありません。撃たれれば火を噴くし、撃墜もされます。零戦の弱点は防御が弱いことです。正攻法の戦いではまず敗れることのない零戦でも、乱戦になれば流れ弾にあたることもありますし、目の前の敵機を深追いして別の敵に撃たれる時もあります。
一番怖いのは奇襲です。死角から忍び寄られて急襲されれば、さしもの零戦もひとたまりもありません。坂井三郎一飛曹と並ぶ達人だった宮崎儀太郎飛曹長も奇襲の一撃にやられました。その日、宮崎飛曹長は病気をおして攻撃に参加したのですが、一瞬の油断で撃墜されました。彼の戦死は全軍布告され二階級特進しました。いかに彼が重んじられていたかがわかります。
奇襲で特に危ないのは、味方の攻撃機による空襲が終わった後、不用意に集合した場合などです。零戦との空戦で何度も一方的に痛めつけられた敵は、まともにぶつかっては勝目がないと見て、こういった奇襲や待ち伏せ戦法を多用してきました。
ポートモレスピーの戦いが始まって一ヶ月くらい経つと、連合軍は同等兵力では戦うことを避けるようになったいました。倍ほどの兵力があれば空戦を挑んできましたが、私たちは二対一くらいの兵力差なら互角以上の戦いが出来る自信がありました。
私もラエで戦ううちにそれなりの技量を身につけていました。四月からの四ヶ月でラエ基地戦闘機隊撃墜数は三百機に達し、その間、我が方の被害はわずかにニ十機でした。
チャーリーも言っていましたが、当時、英米パイロットたちは私たち零戦搭乗員を「デビル」と呼んでいたそうですね。「奴らは操縦桿を握ったデビルだ」と。その表現は誇張でも何でもないと思います。ラエの熟練搭乗員たちは本当に強かったです。坂井さんや西澤さんは私たちから見ても「鬼」でした。
二人について愉快なエピソードがあります。
坂井一飛曹と西澤一飛曹、それに太田一飛曹の三人による敵基地上空での編隊宙返りです。太田一飛曹は坂井一飛曹の列機で、二人に負けないくらいの撃墜王でした。
当時で三人合わせて百機以上は撃墜していたのいではないでしょうか。宙返りは坂井さんが前からやりうと計画していたらしいのですが、その日の出撃前「今日、やろう」と二人で言っていたようです。
空襲と空戦が終わると、三機は阿吽の呼吸で敵飛行場の上空で編隊を組み、そこで宙返りを演じて見せたのです。それも三度続けて。それは見事な宙返りでした。三機はまるで一つの飛行機のように、一糸乱れぬ動きでした。何も知らされていない私たちはあっけにとられて見ていました。
三機は更に大胆に高度を下げると、もう一度宙返りを行ないました。これまた惚れ惚れとする宙返りでした。三人の名人が行なうと、これほどまでに美しい編隊宙返りが出来るのかと思いました。
驚くのは、この間、敵飛行場からは一発の対空砲火もなかったことです。二度目の編隊宙返りの時は相当高度を下げていましたから、高射砲を撃てばかなりの確率で追撃するチャンスはあったはずです。それをしなかったのは、彼らの騎士道精神とユーモアでしょう。これが逆の立場なら、顔面を真っ赤にさせた海兵出の士官が「撃て、撃て! 撃ち墜とせ!」と絶叫していたはうです。
太田一飛曹は「やつらは大人だったよ」と敵の度量を認めていました。
数日後、今度はラエの飛行場が敵からの空襲にあいましたが。この時、敵機から手紙が投げ落とされました。手紙には「先日の編隊宙返りは見事だった。この次、来られる時は歓迎する」というような文章が書いてあったと聞いています。
殺伐とした命のやりとりの合間にもこんなことがあったのです。でもこれもラバウルの搭乗員の腕があればこそのエピソードでしょう。
当時のラバウル航空隊の零戦隊の力は、掛け値なしに世界一だったと思います。 |