宮部さんがラエにやって来たのは、十七年七月の半ばでした。
その頃、ラバウルには内地から搭乗員が断続的に送られて来ました。その中には幾人かの元母艦乗りもいっました。
発表はされていませんでしたが、六月にミッドウェーで空母四隻を沈められたらしいという噂は搭乗員たちの間で秘かに広まっていました。大変なことになったなという気持はありましたが、それほどの危機感を持っていたわけではありませんでした。私たちはほぼ負け知らずでしたし、米英の戦闘機の力はさほどでもなおと思っていたからです。零戦さえあれば、負けないと思っていました。
今度やって来る搭乗員たちの中には第一航空艦隊の戦闘機乗りたちがいると聞いて、私たちも競争心を抱きました。母艦乗りは確かに優秀だろうが、毎日空戦するということhsないだろう。それに引き換え、俺たちは連日、ここで命のやりとりをしているんだ、という意地みたいなものがありました。それに正直に言うと、本当に優秀な戦闘機乗りなら。母艦を沈められるようなヘマはしないだろうという気持もあったのです。
宮部さんたちは、中功に誘導され、零戦に乗って本土から台湾、比島、トラック島を経由して、長駆六千キロを飛んでラバウルに到着しました。
皆に挨拶があった後、解散してから、一人の搭乗員に声をかけられました。それが宮部さんでした。
「よろしくお願いします」
宮部さんは背に高い人でした。階級章を見ると、一飛曹です。下士官の一番上の階級です。
私は慌てて、「こちらこそ、よろしくお願いします」と声を張り上げました。
宮部さんは笑って、「ラバウルの戦い方はどうなのですか?」と聞きました。
私は「はい」と答えましたが、何と言っていいのかわからなかったのです。
「敵戦闘機の戦い方はどうですか?」
「はい、なかなか敵も優秀であります」
「いろいろ教えて下さい」
私は宮部さんの丁寧な言葉に大いに戸惑いましや。軍隊というところは階級がすべてです。一飛曹と一飛兵では、とてつもなく大きな差があります。
私はただ大声で「わたくしは井崎一等飛行兵と言います!」と答えました。
「井崎一飛兵ですね。自分は宮部久蔵一飛曹です。よろしくお願いします」
宮部さんはそう言って軽く頭を下げました。私はどういおう態度を取っていいのかわかりませんでした。短い軍隊生活でしたが、こんな上官に会ったのは初めてです。この人はよほど育ちのいい人なのか、あるいは馬鹿なのか、どちらかだと思いました。
「宮部一飛曹は、母艦に乗っておられたのですか」
宮部さんは一瞬口をつぐみました。私はすぐにミッドウェーのことは軍の機密なのだなと思い、慌てて、話題を逸らそうとしました。しかし私が口を開くよりも先に宮部さんが言いました。
「赤城に乗っていました」
そしてすぐに「もう乗れません」と続けました。噂は本当だったのです。
「米軍は侮れません。手強い相手です」
宮部さんははっきりした口調で言いました。私もそれ以上は何も聞けませんでした。二人ともしならく黙ったままでした。
それから、私はここでの普段の戦い方を伝えました。敵は我々と同じように編隊空戦を挑んで来ること、常に奇襲の機会を狙っていること、空戦が済んだ後、集合したところを狙われることもあることなどを説明しました。宮部さんは一つ一つ真剣に聞いていました。
宮部さんの態度は意外でした。実は、中国大陸で戦ってきた熟練搭乗員の中には、戦歴を鼻にかけて、私たちの話などろくに聞こうとしない人たちが少なくなかったのです。中国での空戦の主体は一対一の格闘戦でした。しかしこちらでは、敵は無線で連絡を取りながら編隊空戦を行います。でもそのことを軽視して、中国上空と同じように一対一の格闘戦と思って敵機を深追いして別の機にやられるということがままあったのです。
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