~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ラ バ ウ ル (十二) 
翌日、ポートモレスピーへ出撃しました。
私たちは制空隊として出撃しました。三小隊の九機編成です。宮部さんは橋本一飛曹の二番機となりました。私が三番機でした。
その日はニューギニア一帯に断雲がいくつもありました。雲という奴は飛行機乗りには嫌なもので、それというのも雲の向うに敵がいても見えないからです。正面の雲ならまだいいのですが、横や後ろの雲は気持の悪いものです。雲の中から突然現れた敵機にバッサリやられる危険があるからです。もちろんこちらもそれを利用して戦うことも出来るのですが、往々にして待ち伏せする遊撃側に有利に働きました。
私は飛行中、何度か宮部さんを見ました。宮部さんは落ち着かない様子でした。常に周囲を見回し、時には機体の角度を変え、周囲を見張っていました。背面飛行を何度もやり、死角である下方への注意も怠りませんでした。私は「用心深い人だなあ」と思いました。我々ラバウルの搭乗員もみんな用心深さでは人後に落ちるものではないですが、宮部さんの用心深さというのは、いささか度を越していると思えました。
出撃して一時間近く経った頃には、全員、その奇妙な行動を笑っていました。何しろ、きれいな編隊を組んで飛んでいる中、たった一機、しょっちゅうキョロキョロあたりを伺いながら飛んでいるのですから目立ちます。
この人はよほどの臆病おくびょう者か、おそろしく慎重なタチか、どちらかだなと私は思いました。
目の前にオーエンスタンレー山脈が見えてきました。四千メートル級の壮大な山脈です。まさにニューギニアを縦に真っ二つに遮る山脈です。この山脈をはさんで南側にポートモレスピーがあり、北のこちら側にラエがあるのです。
実は私はこの山が好きでした。そこには何か峻厳しゅんげんな美しさがありました。おかしな話ですが、この上を飛ぶたびに何か勇気を感じました。
スタンレー山脈を越え、あと僅かでポートモレスピー が見える地点に来た時、突然、上空の前の雲の隙間すきまから敵機が襲いかかってきました。それはまったくの奇襲でした。我々は左に急旋回しましたが、隊の一番後方に位置していた私の小隊は旋回が遅れました。敵の一番機が私を狙って、喰いついてきます。私はちょうど敵に背中を見せる格好になりました。「やられる!」と私は思いました。
その時、私を狙っていた敵戦闘機が突然火を吐いて吹き飛びました。私の機にもその破片が当たりました。次の瞬間、私の目の前を一機の零戦がすごいスピードですり抜けました。二番機の宮部機でした。宮部機は更にもう一機を撃墜すると、旋回して逃れようとする敵機の背後に鋭い旋回で回り込み、一連射でもう一機を撃ち墜としました。この間、僅か数秒の出来事でした。
何という凄腕! 何という早業!
私は鳥肌が立ちました。さっきまで私の飛んでいたと思っていた宮部機が、いつ敵を攻撃出来る位置に移動していたかまったくわかりませんでした。
態勢を立て直した我が零戦隊は、この後、敵戦闘機に猛烈な戦いを挑みました。敵は優位置にいましたから、最初はかなりの苦戦を強いられましたが、すぐに劣勢を挽回しました。私も態勢を立て直して一機墜としました。
敵は劣勢を覚ると、避退しました。私たちは深追いせず、再び編隊を組むと、そのままポートモレスピー 上空に進みました。今の奇襲で味方の被害はなかったようでした。
ポートモレスピー上空では敵の遊撃機の姿はなく、対空砲火のみでした。
空襲を終えて、基地に戻った時、私は真っ先に、宮部さんにお礼を言いに行きました。宮部さんは笑っただけでした。
「あの時、雲の上の敵が見えていたのですか」
「はい、雲の隙間からちらっと見えました。すぐに隊長機に知らせようと、機銃を撃ちました。それから上昇して編隊の前に出ようとしましたが、敵の急降下が速く、間に合いませんでした。もう少し、早く知らせていれば、奇襲を受けることはなかったと思います」
私は心の中でうなりました。今日の零戦隊はラバウルの猛者たちです。私も含めてその全員が見つけられなかった待ち伏せする敵をいち早く発見し、逆に返り討ちにしたのですから、この人は一級の搭乗員だと思いました。
ただ実はひとつ引っかかることがありました。その後、乱戦になってからの宮部さんの戦いぶりは、奇襲を受けた時の恐ろしいまでの戦いぶりとは別人のようでした。
列機として小隊長を援護する役に徹していましたが、それは幾分物足りないものを感じました。何というか、まるで積極的に戦ったいないようにも見えました。敵を墜とすいうことよりも、自分が撃たれないようにいている様子でした。
宮部さんはまもなく隊の話題になりました。例のしょっちゅうあたりを見回しながら飛ぶ行為が、です。
一度、搭乗員たちが集まって話していた時に、こんな話になったことがあります。
「慎重なのはわかるが、あれは度が過ぎてるな」
ある古参搭乗員が言いました。
「そりゃ、俺たちだって、敵がいそうなところでは十分警戒するさ。しかし、やっこさんの場合、ラバウルを出た瞬間からだろう。それから基地に戻るまでずっとだからなあ」
「あれじゃあ、神経が持たないぜ」
「よほど怖い目にあったからじゃないのか」
「あるいは、生まれついての臆病者か」
その場にいた何人かは笑いました。私も笑いました。
しかし笑わない人がいいました。西澤義一飛曹です。
「俺たちも見習わんといかんな」
西澤義一飛曹が言いました。するとそこにいた全員が黙ってしまいました。
西澤義一飛曹はラバウルでも一、二を争う空戦の達人です。後に「ラバウルの魔王」とアメリカ軍からも怖れられた人です。この人と坂井一飛曹の目の良さは抜群でした。いつも必ず相手よりも先に敵を発見していました。
いったい空戦というものは、柔道みたいに組んずほぐれつの格闘戦すると思われているようですが、それはたしかにそうなのですが、それよりも先に相手を発見し、優位な位置から攻撃する方がずっと効率のいい戦い方なのです。空の上では一秒でも先に敵を発見することはものすごく有利なのです。その意味で、目の良さというのは大きな武器なのです。ただ、目がいいと言っても、視力だけではありません。集中力というか、一種の勘みたいなものも必要です。上下左右三百六十度に開かれている空に、芥子けし粒のような敵機を見つけるのは簡単そうに見えて容易なものではありません。ただ視力がいいだけでは見つけることは出来ません。
とにかく、この時は西澤一飛曹の一言で、皆、黙ってしまいました。
それでも少なからぬ者が、やはり宮部さんのあの慎重ぶりは相当な臆病心から来ていると思っていたようです。
── 私ですか。うーん。正直に申し上げますと、そう思っていました。慎重と臆病は隣り合わせですが、宮部さんの場合は臆病が勝っているように思いました。
だから、初出撃の時の活躍も臆病がゆえの僥倖ぎょうこうのようなものだったのだろう、と。自分の命を救って貰いながら、随分勝手な考え方なのですが。
ほどなく、宮部さんは小隊長になり、私が列機を務めることになりました。
私は列機についた機会に、宮部さんに「丁寧言葉はおやめ下さい」とお願いしました。
「小隊長なのですから、上官らしく厳しく言って下さい」
「やりにくいですか?」
「それもありますが、他の小隊の人たちに妙に思われます」
宮部小隊長は少し考えていましたが、笑って「よし、わかった」と言いました。
2024/09/15
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