~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ラ バ ウ ル (十七)
ガダルカナルというのは南太平洋に浮かぶソロモン諸島の小さな島です。ラバウルのあるニュイーブリテン島から更に東にあります。ジャングルに覆われた未開の孤島です。太平洋戦争がなければ、その名も存在も永遠に知られることのない島だったでしょう。
当時、日本軍は米国とオーストライアの連絡線を切断しようとしていました。そのためガダルカナルに飛行場を作って、不沈空母として南太平洋に睨みを利かそうとしていたのです。そのため昭和十七年の夏に、ガダルカナルに進出し、そこに飛行場の設営を始めました。飛行場が完成すれば、ラバウルの飛行機はほとんどガダルカナルに移行する予定でした。 海軍設営隊が未開のジャングルを切り開き、一ヶ月もかけてようやく滑走路を作った途端、ガダルカナルは米軍の猛攻を受け、完成したばかりの飛行場を奪われたのです。米軍は滑走路が出来るまでずっと待っていたのです。ガダルカナルにいた日本軍のほとんどは設営隊員でしたから、勝負になりません。味方はあっという間に全滅しました。
もとも今、お話ししていることはすべて戦後に知ったことです。当時は、ガダルカナルという名前も、ましてそこに海軍が基地を設営していることもまたく知りませんでした。
大本営もまさかこんな小さな島をまともに攻撃してくるとは思ってもいなかったのでしょう。小さな島嶼とうしょ戦と思っていたようです。ところが、この名もない島が太平洋戦争で最大の激戦地となったのです。
昭和十七年八月七日、この日が運命の日でした。
私たちはまるでこの日が予期されていたかのように。数日前にラエからラバウルに戻されていました。飛行機の整備と搭乗員の休養を兼ねて約半数の搭乗員がラバウルに帰還していたのです。
ガダルカナルが奪われてという情報はその日の朝にはラバウルにも伝わりました。急遽。ラビ空襲を取りやめ、ガダルカナルの敵輸送船団を攻撃することになりました。
「ガダルカナルってどこだい?」
私は同じ分隊の齊藤三飛曹に聞きました。
「知らないよ、そんな島に飛行場があるなんて、聞いたことがない」
搭乗員の中に、その島を知っている者は誰もいませんでした。しかしそのうちにガダルカナルの対岸の島、ツラギでは守備隊が玉砕したという情報も流れて来て、隊内には異様な重苦しい空気が流れ始めました。
司令部の前に集まった我々に航空地図が渡されました。するとラバウルからは五百六十浬もあるということがわかりました。五百六十浬はキロに直すと約千キロです。
「無理だ」
そう呟く男がいました。宮部小隊長でした。
「こんな距離では戦えない」
宮部さんは悲痛な声で言いました。その時、誰かが怒鳴るのが聞こえました。
「今、無理だと言ったのは誰だ!」
一人の若い士官が怒髪天を衝くが如くの形相で向ってきました。
「貴様、否、何と言った」
士官は言うが早いか宮部さんの顔面を殴りました。
「今朝、友軍がツラギで玉砕したんだ。ツラギの飛行艇部隊も全滅したんだ。弔い合戦に行くのが軍人だろう!」
「申し訳ありません」
宮部さんは言いましたが、上官はもう一度、宮部さんを殴りました・宮部さんの口が切れました。
「貴様は宮部だな、貴様の噂は聞いているぞ、この臆病者め!」
士官は怒鳴りつけました。
「今後、今のような臆病風に吹かれるようなことを言ったら、ただではすまさんぞ!」
士官はそれだけ言うと、その場を立ち去りました。
「小隊長、まずいですよ。あんなことを言うのは」
私は自分のマフラーで小隊長の口の血を拭いました。
宮部さんは暗い目をして小さな声で言いました。
「今度の戦いは、これまでとはまったく違ったものになる」
「ガダルカナルを知っているのですか?」
「いや、知らない。しかし五百六十浬がどういう距離かはわかる」
宮部さんは小さな声で言いました。「零戦が戦える距離ではない」
その日の早朝、制空隊に選ばれたのは、笹井中尉、坂井一飛曹、西澤一飛曹、太田一飛曹を始めとするラバウルの猛者たちでした。宮部さんの名前はありませんでした。当然、私の名前もありませんでした。
坂井三郎一飛曹 ── これまで何度も名前を出してきましたが、当時から海軍の飛行機乗りの中で彼の名前を知らない者はいないくらい有名でした。まさに天才的な撃墜王です。当時で既に五十機以上の敵機を撃墜いていました。昼間の星が見えたというくらいの目のいい人で、空戦技術は入神n域に達したと思えるほどの名人でした。また西澤一飛曹も大変な達人です。
他にも高塚寅一飛曹長、山崎市郎平二飛曹、遠藤枡秋枡秋ますあき二飛曹など、その朝のガダルカナルの攻撃隊に選ばれた零戦隊のメンバーはいずれ名人クラスのすごい人たちばかりでした。
さすがに五百六十浬遠方の敵地を叩く攻撃はかなり危険なものと司令部でも判断したのでしょう。選りすぐられた十八人の男がこの攻撃に参加しました。
2024/09/21
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