~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ラ バ ウ ル (十八)
午前七時五十分、山の上のブナカナウの飛行場から二十七機の一式陸攻が飛び立ち、山の下の東飛行場からは十八機の零戦が飛び立ちました。しかし、一機は発動機の不調で引き返しました。
十七機の零戦はラバウル上空で、きれいな編隊を組み、真っ青な東の空に向けて飛んでいきました。日本海軍の最高級の搭乗員たちが編隊を組んだあの日の光景は今も忘れらえません。それはまことに美しい編隊でした。私たちはいつまでも手を振りました。
この日、遅れて九機の九九式艦上爆撃機も攻撃にでました。しかし九九艦爆は空続距離が足りず、最初から片道攻撃を覚悟しての出撃となりました。ガダルカナルの敵輸送船団を攻撃した後は、予定海域に不時着して飛行艇の救助を待つというものでした。その決死の出撃を知った時は、さすがに身が引き締まる思いがしました。
「大丈夫ですよね?」
私は零戦隊を見送った後、かたわらの宮部さんに言いました。
「坂井さんや西澤さんがうれば、めったなことはないと思う」
宮部さんはそう言った 後に付け加えました。
「それでも片道五百六十浬は容易な距離ではない。巡航速度で三時間以上はかかる。ガダルカナル上空では戦闘時間は十分少々だろう」
「そんなにですか?」
「帰りの燃料を考えると、それ以上の空戦は危険だ。中功は零戦より航続距離m長いし、偵察員が途中の航路計算しているから安心だが、零戦は操縦員一人だ。方位を見失って、無駄な航路を取ると、帰還出来ない怖れもある」
「でも、中功に ついて行くわけですから、はぐれることはないでしょう」
「行きは大丈夫だ。しかしガダルカナル上空で空戦になって編隊とはぐれたら、、あとは自力でラバウルまで帰投しないといけない。五百六十浬の洋上を 地図とコンパスだけで飛ぶのは簡単なことではない」
私は宮部さんの言葉を聞いて、元母艦搭乗員らしい言葉だと思いました。目印も何もない広い海の上を敵の艦艇を目指して何百浬も飛び、攻撃後は再び母艦に戻るということを繰り返してきた男の言葉だと思いました。
その日の午前中は、基地全体に重苦しい空気が漂っていました。
出撃当初はガダルカナル守備隊の弔い合戦と意気が上がっていた基地搭乗員たちも、冷静になってみると、五百六十浬も離れた島への攻撃がどういうものかわかってきたようです。
地図を見ると、島づたいに東に飛んで行けばたどり着ける位置にあり、つまり編隊から離れてもその逆を行けば戻れるということですが、厚い雲に覆われていた場合、目印となる島が見えません。その場合は地図とコンパスだけが頼りです。
午後三時頃、聞き慣れた爆音が聞こえました。宿舎から飛び出して、空を見ると、友軍機が見えました。ガダルカナルからの攻撃隊が帰って来たのです。出撃してから七時間が過ぎていました。
飛行機は編隊も組まずに三々五々ばらばらに着陸してきます。中功のほとんどに弾痕がありました。いかに激闘だったかがわかりました。
衝撃的だったのは零戦の数です。何と帰還したのは十機でした。零戦が七機もやられるなんて ──。
滑走路に降り立った零銭の搭乗員たちは、どの顔も疲労困憊の体でした。後で知ったのですが、この日、西澤一飛曹は六機のグラマンを撃墜するという大車輪の奮闘をしていたのです。
彼らはすぐに、戦闘報告を行なうために指揮所に向かいました。
私は西澤一飛曹に駆け寄りました。
「坂井一飛曹は?」
「先任のことだから、間違いはないと思うが」
西澤一飛曹は笑って私に肩を叩きました。しかしその顔は疲れきっていて、ようやく笑顔を作ったという感じでした。
実際、敵地上空でバラバラになり、期間時は三々五々戻って来るということはままあることでした。だから別に心配することはなかったのですが、未帰還の七機の中に坂井一飛曹が入っていたことが私の不安を大きくしました。
坂井一飛曹は小隊長でした。前のも言ったように小隊は三機編成です。坂井一飛曹は非常に優れた小隊長です。これまで列機を一度も失ったことがありません。坂井三郎さんに関しては何十機撃墜という話ばかりが脚光を浴びますが、私はそれよりも彼がただの一機も列機を死なせたことがないという方がずっと素晴らしいことだと思います。ちなみに西澤さんも一度も列機を失ったことがありません。彼が列機を失ったのは生涯最後の空戦においてだと聞いています。
とにかくそんな坂井一飛曹が、列機を置いて編隊から離れてしまったことは異常事態です。
2024/09/22
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