~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ガダルカナル (四)
その間もソロモンの海では多くの海戦が行なわれました。連合艦隊がアメリカ軍を打ち破った戦いもあれば、逆にアメリカ艦隊が日本の艦艇を沈めた戦いもあります。
しかしガダルカナルの海戦では緒戦に非常に大きなチャンスがあったのです。
八月七日に米軍がガダルカナルを急襲したと言いましたが、その時、ラバウルにいた第八艦隊はすぐさまガダルカナルの敵輸送船団を攻撃すべく出撃しています。そして翌八日の夜、輸送船団を護衛する米艦隊とサボ島沖で遭遇したのです。「第一次ソロモン海戦」と言われる海戦ですが、この戦いで三川軍一司令長官率いる第八艦隊は米巡洋艦の艦隊をほぼ完全に打ち破ったのです。日本海軍の得意とする夜戦による奇襲が成功したのです。
しかし三川艦隊はただちに撤収しています。この時、更に突き進み、敵輸送船団を攻撃知れば、ほぼ完全に輸送船団を撃滅させることが出来たのです。
巡洋艦「鳥海」の早川艦長は、輸送船団撃滅を目指して進むことを強く具申しますが、三川長官はそれを退けました。
三川長官は米空母を怖れたのです。輸送船団を撃滅させても、朝になって米空母の艦載機の攻撃を受ければ、護衛戦闘機のない艦隊にとっては絶望的な戦いになると。
しかし、実はこの時、ガダルカナルを支援しにやって来ていた米空母三隻は「ガ島」を遠く離れていたのです。前日の七日の坂井一飛曹の奮戦、そしてこの日の午前中の私や宮部小隊長が参加したラバウルの零戦隊の決死の攻撃により、米空母搭載の戦闘機隊が相当な被害を出していたからです。空母を率いてフレッチャー提督は日本の空母部隊が近づきつつあると感じ、多数の戦闘機を失った現状では日本の空母の攻撃を防ぎきれないと判断し、東方へ避退していました。ラバウル零戦隊の二日にわたる決死の戦いが米空母群を退けていたのです。
しかし三川艦隊はこの勝機をつかむことが出来ませんでした。この時、敵輸送船団は重砲などはほとんど揚陸させておらず、三川艦隊が襲いかかれば、米輸送船団の多くの武器弾薬は海中に没することになったのです。そうなればその後に行なわれた一木支隊や川口支隊の戦いはまったく違った様相を呈していたことでしょう。第一線の将兵が命懸けで戦っているのに、司令部の弱気のせいで、こんなことになったのは本当に残念です。
これも戦後に聞いた話ですが、三川長官が第八艦隊の司令長官に赴任する際、永野軍令部総長が「我が国は工業が乏しいから、出来るだけ船を沈めないようしてくれ」と言ったというのです。一体何という考え方でしょう。兵隊や搭乗員の命は簡単に捨て駒にするくせに、高価な軍艦となると後生大事にするとは ──。
もう一つ、いやな噂を聞いたことがあります。艦隊司令長官にとって最高の名誉である金鵄/rb>きんし勲章のための査定のポイントで、最も大きいものは海戦によって軍艦を沈めることだそうです。戦艦を最高点として、以下、巡洋艦、駆逐艦と続いていくのらしいのですが、輸送船何隻沈めてもまったく点数にならないそうです。しかし艦艇を失えば大きなマイナスになります。三川長官が巡洋艦並びに駆逐艦を撃沈後、輸送船など目にもくれずにとっとと引き揚げたのはそのためか、というのは言いすぎでしょうか
とにかく三川艦隊の撤退はガダルカナルの戦いで大きな悔いを残しました。
2024/09/27
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