ガダルカナルの初戦で重傷を負いながらも帰還した坂井一飛曹は結局、片目を失明して、内地に戻りました。坂井一飛曹に迫る「ラバウルの撃墜王」笹井醇一中尉もガダルカナルの戦いが始まって三週間もたたないうちに未帰還となりました。九月にはベテランの高塚寅一飛曹、若いが空戦の達人羽藤一志三飛曹が未帰還となり、十月には坂井一飛曹、西澤一飛曹と共にポートモレスビーで編隊宙返りを演じた太田敏夫一飛曹も未帰還になりました。
こんな事態は信じられないでした。昨日今日の新米搭乗員ならいざ知らず、日本海軍航空隊の誇る名人級の搭乗員が連日帰らぬ人となるのです。
しかし考えてみれば、当然だったかも知れません。何しろ我々は連日往復二千キロ以上の距離を飛んで、敵地上空で戦っているのですから。一度出撃すれば、七時間前後も操縦席に座りっぱなしです。しかもその時間は常に死と隣合わせの時間なのです。その疲労は小さくありません。
「ガ島」に着くまでの時間も油断は出来ません。いつ何時なんどき、敵が襲いかかって来るかわからないのです。そうして敵地上空に達すると、今度は襲い来る敵邀撃機よういげききとの対決が待っています。敵は優秀な電探我が攻撃隊を事前に察知し、常に優位な位置で待ちかまえています。電探とは電波探針機の略です。レーダーのことです。当時、電探技術には大きな差がありました。
劣位からの空戦は零戦にしても楽なものではありません。しかも零戦隊には中功を守るという大事な役目があります・。自由な戦闘が出来ないのです。しかも帰りの燃料をたっぷり積んでいますから、機体が重く、軽快な動きは出来ません。
味方の爆撃が終わると、追いすがる敵機から逃れて、再び千キロの道程を戻ります。この帰路にもまた敵が待ち伏せていることがありましたから、一瞬たりとも油断は出来ません。その肉体的および精神的疲労たるや今まで味わったことがないものでした。しかも帰路、味方編隊とはぐれた場合、自ら地図とコンパスで帰路を計算しながら戻らないといけないのです。
戦闘中に被弾した場合、それが即撃墜にいたらなくても、やがては重大な損傷になることが多々あります。何度も繰り返しますがラバウルとガダルカナルの距離は千キロです。航空機というものは非常にデリケートな機械です。わずかな発動機のトラブルでも飛行不能になります。
また燃料の問題もあります。前に言ったように零戦の燃料はガダルカナルとの往復でギリギリです。ガダルカナル上空の空戦によって燃料を大量に消費した場合、帰りの燃料が足りなくなるのです。また燃料タンクに被弾して、燃料が漏れても帰還はかないません。途中、航法を間違えて機位を失っても帰還出来ません。わじかな回り道が命取りになることもあるのです。
重傷を負いながら単機ガダルカナルから帰還した坂井三郎さんなどはまさに奇跡の飛行機乗りです。そんなパイロットはそうそういるものではありません。
一度出撃すれば、疲労は一日や二日では抜けません。しかし疲れが取れる前に再び出撃命令が来ます。一週間に三度、四度の出撃も珍しくなかったのです。私も含めて多くの搭乗員が限界に近い状態で戦っていました。疲れからくるミスで撃墜された搭乗員も大勢いたはずです。笹井中尉が撃墜された時も、たしか彼は中隊長として五日連続くらいで出撃していました。笹井中尉だけでなく、十分な休養さえ耐えられれば、死ぬことはなかった搭乗員が少なくなかったはずです。
私は出撃しない日はとにかく睡眠をとりました。実はこれは宮部さんの教えでした。
「木崎、いいか、よく聞け。時間があれば休め。たっぷり食べて、とにかく寝ろ。どれだけ休めるかが戦いだ」
私は宮部小隊長の教えを忠実に守りました。空いた時間さえあれば、ひたすら眠りました。不思議なものですね。眠るというのは一つの技術なのです。絶対に眠るのだと決めると、周囲がどれほど喧やかましくても明るくても眠れるようになるんです。
私は戦後、運送業を始めましたが、社員には、とにかく眠れと口を酸っぱくして言いました。精神力や気合で乗り切ろうと思うな。と、そのお陰かどうかはわかりませんが、うちの運送会社はほとんど大きな事故を起こしたことがありません。
しかし、宮部小隊長は一部の搭乗員から陰口を叩かれました。それは中功の直掩任務の時の戦い方にありました。
私たちは中功の直掩任務の時は、身を挺ていしてでも中功を守れと言われていました。
しかし宮部小隊長は中功に襲いかかる敵戦闘機を追い払うことはあっても、自らの機で擲弾を受けて中功を守ることは決してやりませんでしたし、私たちにもそれを許しませんでした。そうした戦い方が、一部の搭乗員たちから見れば「ずるい奴」と思われていたのです。宮部小隊長の列機を務めることが多かった私も同様に思われていました。
── 私はどう思っていたかですか? 答えにくい質問ですね。
零戦は一人乗り、中功は七人乗りです。一人の命を捨てることで七人の命を守れるなら、戦術的には犠牲になるべきかも知れません。しかし宮部さんのような優れた搭乗員を失えば、もと多くの犠牲を出すのではないでしょうか ── これでは答えになりませんか。もとも宮根さん自身がどう考えていたのかはわかりません。おそらくですが、あの人は自分が死にたくなかったのだと思います。
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