話は変わりますが、私は戦後ドイツの撃墜王の記録を見て驚いたことがあります。
三百五十機撃墜のハルトマンを筆頭に二百機以上撃墜のエースが何十人もいるのです。こんあことは日本海軍には考えられません。しかしそれは彼らがドイツ上空で戦うことが出来たからだと思います。これは大きな地の利です。なぜならたとえ撃ち墜とされてもパラシュート脱出出来るし、発動機が不調でも不時着出来ます。ハルトマンも何度か撃墜されてパラシュート脱出しています。また遊撃戦というのも大きかったと思います。やって来る敵を迎え撃つのですから、待ち伏せも可能ですし、燃料の心配もなく戦えます。私たちには二度目の機会は与えられませんでした。そんな中で百機以上の敵機を撃墜した岩本徹三さんや西澤廣義さんは本当の達人だったと思います。
とにかく十七年の後半からは非常に厳しい戦いとなりました。
失った飛行機の補充もはかばかしくありませんでした。それに亡くなった搭乗委員の補充も同様です。いや、こちらはもっとひどい状態でした。飛行時は少なくとも少なくとも新しい機体が来ればそれでいいのですが、熟練搭乗員の代わりはいません。熟練搭乗員を養成するには何年もかかるのです。そんな搭乗員の補充は不可能です。
零戦による駆逐艦護衛が命じられたこともあります。駆逐艦によるネズミ輸送の話は先程しましたが、足の速い駆逐艦でも完全に夜の時間だけでガダルカナルにたどり着くことは出来ません。どうしても陽のあるうちにある程度まで「ガ島」に近づく必要があったのですが、そうなると「ガ島」からの敵航空機の攻撃にさらされます。そこでブイン基地から三機の零戦が駆逐艦の上空直衛に付くことになりました。三機の零戦は燃料ぎりぎりまで艦隊上空を援護し、その燃料が切れる頃にあとからやって来た別の三機と交代するというもです。しかしブインには
夜間着陸の設備がありません。そのために後からやって来た三機は夜間に駆逐艦の近くに不時着するというものでしたが、三機の搭乗員は荒れた海上で命を失いました。いずれも何年もかかって作り上げた熟練の搭乗員たちでした。
「ガ島」で餓える兵士のため、駆逐艦の乗組員も命を懸けて食料を運び、またそれを守るためにラバウルの航空兵も命を懸けて戦ったのです。
南太平洋に浮ぶ小さな島を巡る戦いは日米の総力戦の様相をおびてきました。
しかし敵は叩いても叩いても新手を繰り出してきました。その物量は無間かと思えるほどでした。
初めてガダルカナルに飛んだ時、おびただしい数の艦艇に圧倒されたと前に言いましたが、もう一つ忘れられない光景があります。十七年の九月に我が軍の空襲と零戦隊の奮戦で、大戦果を挙げたことがありました。多くの敵機を撃墜し、地上の航空機を多数撃破しました。しかし二日後、再び「ガ島」の飛行場で見たものは、二日前と同じ数の航空機でした。それを見た時は、戦慄を覚えました。自分たちは不死身の化け物を相手に戦っているのかという恐怖です。
そのことで思い出したことがあります。宮部小隊長がパラシュートで降下する兵士を撃ったことです。
あれはガダルカナルの戦いが始まって、二週間ほど経った九月二十日のことでしたか。その日
空襲を終えて、ラバウルに戻る帰路、突然、グラマン二機の奇襲攻撃を受けました。ガダルカナルから百浬は離れていたでしょうか。上空の雲の上から突如現れたグラマンは急降下で我が編隊に襲いかかりました。完全に不意を衝かれました。私の目の前で一機の零戦が火を噴くのが見えました。
私はすぐさま急降下で追いましたが、あっという間に離されました。急降下の速度の遅い零戦では追いつけません。くそっ、と思いましたがどうすることも出来ません。
その時、一機の零戦がグラマンに迫るのが見えました。宮部小隊長でした。小隊長は敵の奇襲を察知していて、いち早く急降下して下方に回り込んでいたのです。小隊長の機銃が火を噴くのが見えました。一機のグラマンが爆発しました。
その時、もう一機のグラマンが反転して、小隊長に向かっていきました。小隊長もこれには虚を衝かれたようです。一瞬空中衝突かrと」思いました。小隊長は間一髪でそれをかわしました。次の瞬間、グラマンが火を噴きました。堕ちていく機体から搭乗員が脱出し、パラシュートが開くのが見えました。
私は溜飲りゅういんを下げました。今更ながら、自分の小隊長のすごさに感服していました。
しかし驚くことはしの直後に起こりました。
小隊長は大きく旋回すると、パラシュートで脱出する米兵に機首を向け、機銃を撃ったのです。パラシュートは機銃で切り裂かれ、米兵はしぼんだパラシュートと共に落下していきました。
しれを見た瞬間、私は嫌な思いをしました。何もそこまでやらなくてもと思ったのです。たしかに仲間を一人失いはしましたが、それは戦場では仕方のないことです。とはいえ、無抵抗の搭乗員を撃ち殺すことはしなくてもいいのではないかと思ったのです。 |