宮部小隊長の言葉が甦ったのは、一年後のことでした。
その時、私はラバウルを離れ、空母「翔鶴」の搭乗員になっていました。
昭和十九年のマリアナ沖海戦で、待ちかまえていた敵戦闘機と激しい空中戦の末、私は燃料タンクを撃ち抜かれました。
火が点かなったのは幸いでしたが、もはや母艦への帰還はかないません。いや、それ以前に、無数の敵機に囲まれ、撃墜されるのも確実でした。しかもこの時の敵の新鋭戦闘機グラマンF6Fは以前のF4Fとりも更に優秀な戦闘機で、既に零戦では太刀打ちも出来なくなっていました。しかも多勢に無勢ときてはもはや勝目がありません。多くの激戦を生き延びて来た私でしたが。ついに運命尽きたかとおもいました。
私はどうせ墜とされるなら、せめて敵機を道連れにしてやれと体当たりを決意しました。
その時突然、宮部小隊長の怒鳴り声が頭の中に響いたのです。
「井崎!」
その声ははっきり私の耳に聞こえました「。
「貴様はまだわからないのか!」
同時に、太一の顔が浮びました。
次の瞬間、私は急降下で脱出をはかりました。グラマンはぴったりついてきて来ます。
急降下速度ではグラマンがはるかに上です。私は何度も急旋回で逃れながら、やがて海面近くまで降下すると、そのまま海面すれすれに飛行しました。敵は上から照準することは出来ません。海面に突っ込んでしまうからです。しかし私を追尾する二機のグラマンの搭乗員も確かな腕を持った男でした。私の機の真後ろにぴたりと張りつき、弾を撃ち込んできました。私は「これが出来るか」と叫びながら、プロペラが海面を叩くくらいまで高度を下げました。一機のグラマンが海中に激突しました。もう一機は追尾を諦め、上昇しました。私はそのまま海面すれすれを飛び続けました。グラマンはそれから三十分以上も上空から私を追いかけましたが、やがてあきらめたのか、反転して飛び去っていきました。ついにグラマンを振り切ったのです。
私は機体を海面に不時着させました。
それから海に飛び込みました。おそらくグアム島からおよそ二十浬と思っていました。助かるには泳ぎきるしかありません。島の方向を間違っていたら死ぬだけです。途中で力尽きても死にます。また、鱶に襲われても命はありません。しかし今はまだ生きています。生き延びるために戦うことが出来るのです。
ズボンを脱ぎ、ふんどしを解いて、長く垂らしました。鱶は自分よりも大きいものを襲わないということを習っていたからです。
九時間泳ぎ、ついにグアム島に泳ぎ着きました。ライフジャケットは七時間でダメになり、あとは裸になって気力で泳ぎました。自分にこんな力が残っていたことが不思議でした。
何度も諦めかけた私を奮い立たせたのは、弟の顔でした。「兄ちゃん、兄ちゃん」と泣きながら私を呼ぶ太一の顔でした。
しかし本当に私を助けてくれたのは、宮部小隊長だったのだと思っています。
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