話をラバウルに戻しましょう。
宮部小隊長がある時、零銭の翼を触りながら言った言葉が忘れられません。
「自分は、この飛行機を作った人を恨みたい」
私は驚きました。なぜなら零銭こそ世界最高の戦闘機と思っていたからです。
「お言葉を返すようですが、零銭は優れた戦闘機と思います。航続距離一つ見ても ──」
私の言葉を遮るように小隊長は言いました。
「たしかにすごい航続距離だ。千八百浬も飛べる単座戦闘機なんて考えられない。八時間も飛んでいられるというのはすごいことだと思う」
「それは大きな能力だと思いますが」
「自分もそう思っていた。広い太平洋で、どこまでもいおうまでも飛び続けることが出来る零戦は本当に素晴らしい。自分自身、空母の乗っている時には、まさに千里を走る名馬に乗っているような心強さを感じていた。しかし ──」
そこで宮部小隊長はちらと周囲を見ました。誰もいないのを確かめてから、言いました。
「今、その類い稀なる能力が自分たちを苦しめている。五百六十浬を飛んで、そこで戦い、」まt五百六十浬を飛んで帰る。こんな恐ろしい作戦が立てられるのも、零戦にそれほどの能力があるからだ」
小隊長の言いたいことがわかりました。
「八時間も飛べる飛行機は素晴らしいものだと思う。しかしそこにはそれを操る搭乗員のことが考えられていない。八時間もの間、搭乗員は一時も油断は出来ない。我々は民間航空の操縦士ではない。いつ敵が襲いかかって来るかわからない戦場で八時間の飛行は体力の限界を越えておる。自分たちは機械じゃない。生身の人間だ。八時間も飛べる飛行機を作った人は、この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」
私は返す言葉はありませんでした。小隊長の言う通りです。たしかに八時間操縦席に座り続けるのは体力の限界を超えています。私たちはそれを気力で補っていたのです。
今、あの時、宮部さんの言っていたことの正しさがわかります。現代でも零戦が語られる時、多くの人があの驚異的な航続力を褒め称えます。しかしその航続力ゆえにどれほど無謀な作戦がとられたことでしょう。戦後、航空自衛隊の戦闘機の教官からこんな話を聞いたことがあります。戦闘機の搭乗員の体力と集中力の限界は一時間半くらいだと。そてでいうと、私たちは三時間以上かけてラバウルに到着した時は、既に体力と集中力のほとんどを失っていたことになります。もちろんその教官が話したのはジェット戦闘機についてですが、プロペラ機でもたいして条件は変わらないでしょう」
何度も繰り返しますが、本当に過酷な戦いでした。
ガダルカナル島を巡っての戦いは十八年二月に終わりました。十七年の八月に始まった戦いは半年の激戦を経て幕を閉じたのです。
大本営は「ガ島」奪還をあきらめ、島に残る約一万人の兵士を駆逐艦で収容し、撤退しました。この時、駆逐艦の乗員たちは、痩せさらばえた「ガ島」の兵士たちを見て、声を失ったといいます。
半年間におけるガダルカナル島に戦いでの犠牲はおびただしいものでした。陸上戦闘における戦死者約五千人、餓死者約一万五千人。
海軍もまた多くの血を流しました。沈没した戦艦二十四隻、失った航空機八百三十九機、戦死した搭乗員二千三百六十二人。これだけの犠牲を払って、ついにガダルカナルの戦いに敗れたのです。
そして戦いが終わった時、海軍の誇る珠玉とも言える熟練搭乗員のほとんどが失われていました。
今にして思えば、この時、日本の負けがはっきりしたと思います。しかしアメリカとの戦争はこの後、まだ二年以上も続いたのです。
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