私が空母「翔鶴」の配属になったのは、「い」号作戦の終了後に壊滅した母艦搭乗員の補充のためでした。「翔鶴」は真珠湾以来の歴戦艦です。姉妹艦「瑞鶴」とともに第一航空戦隊を担い、機動部隊の中心でした。しかし機動部隊には昔日の勢いは既になく、今や大勢力となりつつある米機動部隊との絶望的な戦いが待っていました。
宮部小隊長は引き続き、ラバウルに残りました。前年の十一月に下士官以下の呼称が変更になり、宮部一飛曹は上等飛行兵曹になっていました。私は一等兵から飛行兵長になり、同時に一階級上がって二等飛行兵曹になっていました。二飛曹では兵でなく下士官です。
ガダルカナル奪還作戦は終了しても、ラバウルは依然南太平洋の要衝でした。いや、今や敵の反攻を一手に引き受ける最重要基地でした。実際、この頃はニューギニヤなどからやって来る敵の空襲が連日のように続いていました。
まさに去るも地獄残るも地獄といった様相でした。
私が空母搭乗員となってラバウルを離れることが決まった時、宮部上飛曹と花吹山を見ながら話をしました。
「井崎、死ぬなよ」
宮部上飛曹は言いました。
「死にませんよ」
「たとえ母艦が沈んでも、軽々しく自爆なんかするなよ」
「死ぬものですか。ラバウルで一年以上も生き延びたのです。むざむざと死ねません。それに、わたくしの命は小隊長に二度も救われています。簡単に落としたりしたら、小隊長に申し訳が立たんです」
宮部上飛曹は笑いました。
この時、花吹山が大きな噴煙を噴き上げているのが見えました。
「今日は激しいな」
宮部上飛曹が言いました。
「あの山を見るのも今日が最後かも知れません」
宮部上飛曹はそれには何も答えませんでした。私はいつも飽きるほど見ていた花吹山も今日が見納めかと思うと、なぜか急に懐かしくなって瞼の裏に焼き付けておこうと思いました。
今でも、目をつむればあの山の姿が浮んできます。余談ですが、戦後五十年近くたって、あの山が大噴火して、町も飛行場も灰の中に埋まってしまったそうです。当時を偲しのぶものは何もかもなくなってしまいました。もう戦争のことなど全部忘れろと山が言っているのでしょうか。
戦争が終わっても、いつかもう一度ラバウルに行こうと思いながら、とうとう今日まで行く機会がありませんでした。しかし悔しいというほどのものではありません。
「俺の祖父は徳川幕府の御家人だった」
不意に宮部上飛曹が呟つぶやくように言いました。
「幼い頃、祖父によく昔話を聞かされた。子供の頃、祖父に連れられて上野に行くと、必ず上野の山で彰義隊として官軍と戦った話を聞かされた。上野だけでなく、祖父と町を歩くと、この町は昔、といった話が出た。不思議なものだな。江戸時代の話というのは、講談か芝居の話のようだが、その頃に祖父は西郷隆盛なんかと戦っていたんだな」
宮部上飛曹はおかしそうに笑いました。
「その時は、子供心に随分恐ろしい話だと思ったものだよ。祖父の体にはその時受けた弾の傷跡もあった。体の中には弾がまだ入っているんだ、とも言ってたな」
「そうなのですか」
「今、こうして孫がアメリカと戦っていると知ったら、祖父は驚くだろうな」
宮部上飛曹はそう言ってまた笑いました。
「俺も、いつか自分の孫に、この戦争のことを語る日が来るのかな。縁側に日向ひなたぼっこしながらおじいちゃんは昔、戦闘機に乗って、アメリカと戦っていたんだぞって ──」
私はそれを聞きながら不思議な気持がしていました。宮部上飛曹の言うような何十年後のことなんか想像も出来ませんでしたが、そんな日がいつかは来るんだということを実感した時に、何とも言えない奇妙な感じに襲われたのです。
私は言いました。
「その時の日本はどんな国になっているんでしょうね」
宮部上飛曹は遠くを眺めるような目をしました。
「祖父の語る江戸時代の話が、自分にはお伽噺とぎばなしに聞こえたように、孫には、俺の話もまるで遠い昔話を聞くみたいな気持になるかもしれないな」
私は想像してみました。ある昼下がり、縁側に座っている私、そこに孫が来て、おじいちゃん、何か話をしてってせがむ。そそてそんな孫に向って「おじいちゃんは、昔、南の島で戦争をしていたんだよ・・・」と語る自分を ──。
「平和な国になっていたらいいですね」
思わず呟いた自分の言葉に驚きました。まるで自分の口から出た言葉とは思えませんでした。命を賭けて戦う戦闘機乗りが、ましてこの戦争で死ぬ覚悟で戦っている自分が、そんなことを言うとは。
宮部上飛曹は何も言わずに、深く頷きました。
翌日、朝早くラバウルを離陸する私を、宮部上飛曹は帽子を振って見送ってくれました。
離陸した後、一旦飛行場上空を旋回すると、宮部上飛曹が何かを叫んでいるのが見えました。その口は「し・ぬ・な」と言っていました。それが私の見た宮部上飛曹の最後の姿です。
私は敬礼すると、ラバウルを後にしました ──。
宮部さんは特攻で亡くなったと聞いています。
それを知ったのは終戦の翌年です。私は泣きました。悔し泣きです。あの」素晴らしい人を特攻で殺すような国なんか滅んでしまえ、と本気で思いました。
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