関西国際空港から電車を乗り継ぎ、和歌山の
粉河
という駅で降りた。駅前のロータリーに出ると、「佐伯さんかね」と声をかけられた。
「永井の息子ですわ」
五十代の陽に焼けた作業服の男はそう名乗った。わざわざ迎えに来てくれたのだ。
「親父の話を聞きに、わざわざ東京から来るなんて、ご苦労さんやなあ」
車の中で、男は笑いながら言った。
「そやけど考えたら、親父は戦争に行ってるんやなあ。今はもうヨレヨレの爺ざんやけど、若い時はアメリカと戦争してたなんて、すごいことだよな。お宅のお爺さんとラバウルで一緒だったんだって?」
「はい」
「親父がどこまで覚えているかわからへんけど、ええ話聞けたらいいな」
「ありがとうございます」
元海軍整備兵曹長、永井清孝の家は農家だった。古いがなかなか大きい家で、家の前には大きな庭があり、庭木はよく手入れされていた。
永井はつえをついてぼきうたちをぼくたちを待っていた。
「親父、大丈夫か?」
「なんの」永井は笑った。
「じゃあ、俺は農協に用事があるから」
息子は今度はぼくたちに向って、「帰るときは、俺の携帯に電話してくれたら、駅まで送るから」
そう言って、車で差っていった。
ぼくと姉は南向きの大きな和室に通された。
「宮部さんのことはよく覚えていますよ」
永井は言った。
「ラバウルで会いました。わたくしは零戦の発動機 ── エンジンですな、これの整備兵でした。
飛行機というもんは車と違ってすぐに走るもんではのうて、いつも整備をせんといけません。何時間か飛行すると、発動機をばらして整備する。零戦の場合はたしか百時間の飛行で分解整備しましたかな。
ラバウルは火山の島で、わたくしらが花吹山と呼んでいた火山がいつも噴火してましたから、飛行機は火山灰だらけでした。飛行機が飛び立つ時は、滑走路一面
砂埃
すなぼこり
で目も開けていられません。
朝起きて最初にすることは、飛行機の翼に積もった火山灰を椰子の葉っぱで払うことです。そんなわけから、発動機の中にも細かい火山灰が入り込むので整備は大変でした。整備不良で、途中で発動機が止まったら、その搭乗員は死ぬんですから、わたしらも必死です。
私の同期の木村平助という兵長は、自分の整備した零戦が発動機の不調で引き返す途中に海に堕ちて搭乗員が亡くなった時、割腹自殺しました。正直、わたしはそこまでは出来ませんが、整備する時は真剣そのものでした。それでも離陸してすぐ発動機の不調で戻って来る飛行機はたまにありました。そういう時は本当に申し訳ない気持なりましたわ。
わたくしは単なる整備兵でしたが、零戦と一緒に戦っている気持でした。自分が整備した飛行機が出撃して帰って来ない時は、辛いもんでした。自分の息子を失ったみたいな気分ですな。それに搭乗員の命も同時に失っているんですから、その悔しさは二重です。もしかしたら自分の整備不良が原因で空戦に負けたんと違うやろか。そう思うと、胸がきりきりしましたな。
出撃した搭乗員が全員帰って来ることは滅多にありません。朝、元気で
笑
わろ
とった人が夕方にはもうこの世におたんというのは普通のことでした。最初はショックで、しばらく飯も
喉
のど
に通りませんでしたが、しばらくすると慣れました。ラバウルではそういうのはもう当り前のことなんです。でも陸攻の人たちは一機堕ちるといっぺんに七人が亡くなりますから、寂しかったですな。陸攻の乗員はペアと呼ばれる組があって「何とか一家」って言っとりましたね。皆、仲良しでした。死ぬ時は一家
揃
そろ
ってです。ラバウルでは、陸攻の搭乗員は千人以上亡くなりましたな。
今から思うと航空兵たちは可哀想でしたな。毎日のようにガダルカナルまで出撃して戦っていたんですから、あれは「死ね」というもんですわ。
参謀たちは軽口で「搭乗員は消耗品」と言っていたらしいですが、それは多分に本音だったんでしょうな。ちなみに「整備兵は備品」だそうですわ。
でもね、本当のことを言うと、わたしは航空兵になりたかったんですわ。
何しろ航空兵は颯爽さっそうとして、豪快で、あれは実に格好良かったです。わたしは「ああ、これが男だな」と思ったもんです。当時はわたくしもまだ数えで二十歳になるかどうか、今で言えば十九か十八です。死ぬことなんか全然怖れてなかったですから、まあ、ガキですな。そりゃ空襲は怖かったし、病気で死ぬのも怖かったですよ。でもね、何ちゅうか、空戦で正々堂々と戦って死ぬなら本望じゃないですか。。まあ、今となってみたらえらい勘違いですが、その頃はそう思ってましたわ。内地にいれば操縦練習生の試験を受けることが出来るのに、と悔しい思いをしてたもんです。
しかしもし航空兵になっていたら、まず生きてはおらんかったでしょうね。だから、なれなくてよかったんでしょうけどなあ ──。
もう一つ言うと、卑しい話ですが、航空兵は喰くい物もんが良かったんです。整備兵とは比べもんにならんくらい美味しくて栄養のある食事が出てました。ラバウルでろくな喰い物を喰っていない整備兵から見たら、それは羨うらやましいもんでしたわ。
わたしら整備兵の楽しみの一つは、航空兵のしてくれる空戦の報告です。帰って来た搭乗員が「「今日は何機墜とした」という話を聞くのが大好きでした。わたしはいつも話をせがんだものです。中には話し好きの搭乗員もいて、空戦の話を身振り手振りで詳しく話してくれました。わたしは胸を躍らせてわくわくして聞くいとりましたね、聞いているうちに自分も戦っているような気持になったもんですわ。
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