~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅶ-Ⅵ』 ~ ~

 
== 『 永 遠 の 0』 ==
著 者:百田 尚樹
発 行 所:㈱ 講 談 社
 
 
 
 
 
ヌード写真 (三)
宮部さんは航空兵の中ではちょっと変わった人でした。
どこがって ── 上手く言えませんが、何かこう、勇ましいところのまったくない人でしたな。言葉も丁寧で、まるで今時の品のいいサラリーマンみたいな感じでした。とても戦闘機乗りには見えませんでした。あの人は空戦の話しはせがんでもしてくれませんでしたわ。
あの人に関しては、よくない噂もありました。さあ、何と言われていたのでしょうか。あんまり覚えていませんが・・・。
── はっきりおっしゃってくれ、ですか。うーん、何ちゅうか「臆病者」みたいな言い方をされてましたな。
「あの人のことをそう言う搭乗員が何人かいたのは事実です。ただ、正直に申し上げますと、わたしもその噂はそれほど外れていないのではないかと思ってました。
というのは、あの人は撃たれて帰って来たことがほとんどなかったからです。どんな優秀な搭乗員でも、いつも無傷ということはありません。特に中攻の直掩につけばたいていは被弾します。直掩機は自分が敵弾を受けてでも中攻を守れ、と言われていましたから、無傷で帰るということは難しかったんですわ。思えば、そのために随分優秀な搭乗員を失ったと思いますな。
でもあの人はたいてい無傷で帰って来ましたから、少なくとも身をていして中攻を守ってはいなかったと思います。それで、一部の人が言っている陰口は正しいのかな、と思ってました。
もう一つ、宮部さんのことを「臆病なのかな」と思った理由があります。それはいつの弾が残っていたことです。どういうことかというと、まり空戦していないということですわ。
帝国海軍の航空兵といっても全部、が全部立派な軍人ではのうて、中には、こいつはちょと、という航空兵もいました。たとえば「今日は一機墜とした」と散々自慢話を聞かされて、あとで飛行機を整備してみると、弾倉に全弾残っとるんですな。弾を一発も撃たんで敵機を撃墜するなんて、そりゃあなた、三船十段の空気投げじゃないんやから。
新人の搭乗員には全弾残っているということがよくありました。つまりこれも空戦はしていないということです。新人なんてえらい緊張していますから、敵機なんかどこにおるのか見えない。空戦になっても、ただもう逃げるだけで終わってしまう。それでも無事に帰って来れたら好運ですな。見て来たように言うてますが、全部、熟練搭乗員から聞いた話しですわ。
あと指揮官機も大体は全弾残っていることが多かったです。海軍の航空隊の指揮官は、腕のいい下士官を用心棒代わりに列機につけて、高空にいて、空戦はやらずに戦闘指揮だけをするというのが多かったですからな。当時の飛行機にはろくな無線もなかったのに、空中指揮官もあったもんではないと思いますがな。
まあ、そんなわけで、わたしは宮部さんの飛行機を整備して、あんまり空戦はしとらんなと思ってました。多分、何人かが言うように逃げるのがやたらにうまい人なんやな、と。
もう一つ、これは個人的な感情ですが、宮部さんのことでうっとうしいと思うことがありましうた。
それはあの人が、やたらと飛行機の整備に口を出してくることです。整備兵たちが整備した発動機について、しょっちゅう「何か違和感が残る気がします」と言うてきましたな。はっきり言うと「整備し直してくれないか」ということです。あの人は、発動機に関しては非常に神経質でした。いや発動機だけでなく、補助翼やその他の調子がちょっとでもおかしいと感じるとすぐにやって来ました。わたくしはこういうところも「臆病者」と言われる原因やなと思いました。
先程も言いましたが、零戦の発動機は飛行時間百時間で分解して整備するのが目安でした。ところが宮部さんは百時間に満たない場合でも、分解整備してくれ、とよう言うて来ました。あの人は発動機の音のちょっとした違いにも非常に敏感でした。わずかでも違和感を覚えると、すぐに整備兵mのところにやって来るので、整備兵の中には、露骨に宮部さんを嫌がっている人もいおましたな。
ただね、自分の言葉を打ち消すみたいですが、宮部さんは神経質なだけでもなかったんです。あの人が発動機が不調なのではないかと言うて来た時は、実はかなりの確率で、何らかの不良個所が見つかったんですわ。それがまた整備兵たちの気に入らないところでもあったんですかどね。
でもあの人は整備兵に感謝の気持ちを伝えるのを忘れん人でした。「皆さんの整備のお陰で存分に戦えます」というのが、宮部さんの口癖でした。
しかし口の悪い整備兵たちは「存分に戦いもせずに、戦えるなんて言うな」と陰で言うていました。
ただ、わたしはどういうわけか宮部さんには気に入られていました。
「永井が整備してくれるなら、安心です」
あの人にそう言われたら、なぜかすごく嬉しかったsですな。人間て、そういうもんでしょう。
正直なところ、わたしは自分の整備技術に自信を持ってましたから、認めてくれる人がいるのは嬉しかったですな。当時の海軍で、兵隊の仕事を褒める下士官なんて滅多にいませんでした。だから、わたしは宮部さんの臆病なところは嫌いでしたが、人間としては好きでした。
宮部さんの機体の整備は楽でした。機体に無理をさせない飛び方をしていたからです。
航空機いうもんは非常に精密に出来ていましたから、無茶な飛行をすると、わたしら整備員にはすいぐにわかります。例えば無理な急降下をした機体は、翼の金属がシワになったり細かいヒビが入ったりします。また機銃も連続発射すると、銃身が焼けて故障の原因になります。ひどい時にはプロペラに自分の機銃が当たっている機体もありました。機銃はプロペラが回転している隙間すきまを通って撃ち出されますが、これはプロペラの回転と同調させて撃っているからなんですが、銃身が焼けると、その熱で機銃弾が爆発して、プロペラに当たることもあるんです。
しかし宮部さんの機体はいつもきれいなものでした。
整備員として、機体を大事に扱ってくれるということは嬉しいもんです。「無事これ名馬」という言葉がありますが、宮部さんに限って言えば、いい意味でも悪い意味でもその言葉が当てはまりましたな。
2024/10/30
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