零戦はいい飛行機でしたが、昭和十八年頃から質が落ちてきました。わずかではありましたが、作りが前よりも雑になっていました。しかしそれはわたしらが整備兵だから気づくもんでした。
ところが驚いたことに、宮部さんはそれを見抜いていたのです。
「最近、送られて来る零戦の質が変わっていませんか?」
ある日、発動機を整備しているわたしに、宮部さんが言いました。わたしは内心、宮部さんの慧眼に恐れ入りましたが、」素直に、はい、という気にはなれませんでした。
「特に変わりありません」わたしは整備の手を止めて、直立不動して答えました。
「そうですか。自分の気のせいですね」
宮部さんはそう言ってかすかに頭を下げました。わたしは少し悪い気がしました。
「確かに以前に比べると少し作りが甘くなっていますが、飛行に影響するものではありません」
「それなら安心です」
「宮部飛曹長はどうして気づかれたのですか?」
わたしの質問に、宮部さんは怪訝けげんそうな顔をしました。
「乗っていればわかります」
わたしは感心しましたな。
「これはあくまで噂なのですが ──」とわたしは小さな声で言いました。「腕のある職工が減っているということです。陸軍が徴兵でどんどん赤紙を出して、それで工場の職工も片っ端から兵隊にとられているらしいです」
「そうなのですか」
「零戦はご存じの通り、非常に曲線が多い飛行機です。外側だけでなく内部の構造も曲線が多い作りになっています。こういう微妙な曲線を旋盤で切り抜くのは相当腕のある職工でないと難しいのです。そういう職工をとられると、工場としては痛いところだと思います」
「知りませんでした。零戦はそうした名人が作っていたのですね。なるほど、言われてみれば、零戦は美しい専用機ですね」
宮部さんはそう言って、零戦の翼を触りました。それから呟つぶやくように言いました。
「戦争というのは、工場の時点から戦いは始まっているのですね」
「はい、一機の飛行機を飛ばすのは多くの人の陰の努力があると思います」
わたしはつい整備員の存在も殊更にほのめかして言いました。
「そう思います。工場の職人さんや整備の人たちはとても大切です」
わたしはちょっと恥ずかしくなりました。
「わたしが言うのも何ですが、すぐれた職工の代わりなんてそうそういるものではありません。内地では中学生や婦女子たちが工場に勤労動員されているようですが、そんな連中では一流の職工の代わりはとても務まりません」
「すると今後は更に悪くなるかも知れないんですね」
「その可能性はあります。でも、もっと怖いのは ──」
わたしはつい言いかけてちょっと後悔しました。
「何ですか?」
わたしは思い切って言いました。「発動機のことです」
「発動機も腕のある職工が必要なんですね」
「それもありますが、発動機を作る工作機械が消耗していっているという話しです」
「工作機械?」
「発動機は非常な精密機械ですから、百分の一ミリ単位で金属を正確に削る工作機が必要なんです。いい工作機がなければ、いい発動機は出来ません。その工作機が消耗していけば、生産が落ちます」
「その工作機は日本製ではないのですね」
わたしは黙って頷うなずきました。実はこれは練習航空隊の教員に聞いたことでした。教員は昔、発動機を作る工場にいやことがあり、そこで見た米国製の工作機械を褒めていました。彼はよく言ってました。「日本にはあんないい工作機械はない」と。
わたしの言葉に、宮部さんは、ふう、と大きなため息をつきました。
「自分たちはそんな国と戦争していたのですね」
「でも零戦の『栄さかえ』発動機は日本製です。米国の工作機械を使おうが、この優れた発動機を作ったのは日本人です。それにこの『栄』発動機をつけた零戦は日本人が作りました」
「でも、いずれ米国はもっと優れた戦闘機を作ってつくってくるでしょうね。それに対抗する戦闘機を作ろうと思えば『栄』発動機より更に優れた発動機が必要になるのではないですか」
「そうかも知れませんが、米国もそう簡単に優れた戦闘機は作れないと思います」
「そうであればいいと思います」
宮部さんは不安そうに言いました。
しかし宮部さんの不安は不幸なことに的中しましたな。零戦を凌駕りょうがする戦闘機「グラマンF6F」がラバウル上空に現れたのは十八年の暮でした。
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