戦闘以外の宮部さんの話ですか ── そう言われても、ラバウルでは戦争以外、何もなかったですからなあ。
そうだ ── 今、思い出しました。宮部さんは碁が好きでした。なんで、このことを忘れていたんやろう。
わたしら整備兵は、よく暇な時に花札をしたり、将棋をしたり、囲碁を打ったりしてました。
整備兵の仕事が大変なのは出撃前と出撃後です。でも、それ以外はわりに暇な時間があったんです。昼食後、午睡の時間になると、整備科兵舎の庇が作り出す日蔭の下で、各科の将棋好きや碁好きが集まって来ました。もっとも十八年になると、のんびり碁を打つような余裕ものうなりました。
あれは十七年の秋でした。いつものように兵舎の前で整備兵がザル碁を打っていると、不意に艦隊司令部参謀の月野少佐が整備科の兵舎にふらりとやって来たんです。
ラバウルは航空隊だけでなく、軍港もあり、多くの艦艇が基地にしていますいた。また陸軍の駐屯地もあって、相当数の陸軍兵もおりました。
艦隊司令部の少佐というのは、われわれ兵隊から見れば雲の上の人ですから、緊張してこちこちになりました。ところが月野少佐は、わたしらに気楽にするように言い、草の上にどっかと腰を下ろして、碁を見物し始めたのです。そして数局見た後、整備科で一番強い橋田兵曹に「一局お願いしてもいいかな」と言いました。言われた橋田も驚きましたが、わたしらも驚きました。何しろ少佐と言うたら、兵隊がおいそれと口も利けない相手です。その相手に碁を打つなどということは、それはもうとんでもないことです。橋田兵曹が泣きそうな顔でわたしらを見たのを思い出しますな。
わたしらにとって見れば、息の詰まる時間でした。何しろ少佐の前ですから、普段のような軽口は叩けない。碁を見る時も直立不動です。少佐はわれわれに、再び楽にするようにと言いました。
碁を打っている時は、階級は関係ない。ただし空襲警報が鳴るまでの間だぞ」
それを聞いて、皆が笑いました。その頃は、ごくたまにポートモレスビーからの空襲がありました。敵機来襲の報があれば、我々整備員は邀撃ようげきのための発動機を回します。邀撃が間に合わない場合や、邀撃に上がらない機体は掩体壕に隠さんといけません。
でも「楽にせよ」と言われても出来るもんではありません。われわれの様子を見た少佐は「それえは」と前置きして言いました。「命令する。楽にせよ」それでようやく皆、地べたに腰を下ろしたり、床机に腰掛けたりすることができました。
こう言うと、月野少佐の碁は旦那碁みたいですが、そうではありません。その腕前は大変なもので、整備で一番強い橋田兵曹が散々にやられました。月野」少佐は「わしは専門家に二子くらいだ」と言っていました。それがどの程度のものか当時のわたしにはわかりませんでしたが、整備で一番強い橋田兵曹が捻ひねられたのを見ても相当の強さというのがわかりました。
それ以降、たまに少佐は整備兵のザル碁を見に来るようになりました。来る時は、饅頭まんじゅうなどの土産付きでしたから、われわれは嬉しかったものですわ。しかし、少佐はたいていはのこにこ見ているだけでした。
少佐は根っからの碁好きで、どちらかというと将棋よりも高く見ているふうでもありましたな。
一度、こんな事を言いました。
「山本長官は将棋がたいそう好きらしいが、碁は知らんらしいな。もし碁を知っていたら、今度の戦争も、違った戦い方になったと思うな」
これはきわどい言葉です。将棋と碁を比べながら、山本長官を批判したと受け取られても仕方がなかったでしょう。
「少佐にお尋ねします。将棋と碁は違うものですか」と誰かが尋ねました。
少佐は答えました。
「将棋は敵の大将の首を討ち取れば終りだ。たとえ兵力が劣っていても、どんなに負けていても、敵の総大将の首を刎ねれば、それで終りというものだ」
「はい」
「言ってみれば、僅わずか二千の軍勢の織田信長でも二万五千の今川義元を破ることが出来るようなものだ。本来、二千が二万五千に勝てるわけがない。しかし義元の首を取れば、戦いは終りだ。それが将棋だな」
「碁は違うのでありましょうか」
少佐は、うん、と小さく頷いて言いました。
「囲碁はもともと中国で生まれた遊びだ。三百六十一の目の数からして、一年の占ごとか何かに使ったようだが、それがいつしか戦争遊びになったのだろう。そして広大な中国大陸を取り合うような遊びに発展した。言ってみれば、碁は国の取り合いだ」
「太平洋を米国と取り合うようなものでありましょうか」
「そうとも言えるな。かつて日露戦争では、連合艦隊がバルチック艦隊を打ち破って戦争に勝利した。連合艦隊はそれ以来敵の王将つまり主力艦隊を打ち破れば戦争に勝つと思い込んできたのだ。しかし感度の戦争は、敵の王将を取れば終りという戦ではない」
少佐の言葉は思わぬ重たさを持ってわたしらの胸に響きました。現実に恐ろしい物量で押し寄せる米軍と太平洋の取り合いをして勝つのは容易ではないと思ったからです。
わたしは目の前の碁盤を見ました。戦後、わたしも碁をたしなむようになりましたが、その頃はまったく碁がわかりませんでした。しかしそれでも、その局面を見て不思議な印象を持ちましたな。盤上のあちこちに散らばる白黒の石が太平洋の島々に見えたんですわ。わたしが戦後碁を始めたのも、この時の不思議な気持からです。
月野少佐は呟くように言いました。「山本長官も、大変な戦争を始めたものだよ」 |